
大阪水曜ほっと集談会、今でも落ち込む一世です。
今年は不思議ですが、ウィンターブルーもなく季節性の落ち込みもありません。
何か拍子抜けしたような気持ちです。
落ち込んでいるのかもしれませんが立ち直りも早いのです。
さて今日のタイトルは先日ご紹介しました、
WBC優勝監督栗山英樹氏の、「信じ切る力」より頂きました。
私と同世代ということもあり共感と尊敬の気持ちで毎日読ませていただいています。
是非直接手に取ってお読みください。
はじめに心に残った文章をご紹介いたします。
著者栗山英樹氏・信じ切る力・講談社より一部抜粋
落ち込むことはいいことです。
むしろ、落ち込まずに気にならなくなってしまうことのほうが、危ない。
落ち込むのは、ダメだったけど、何とかしようとしているから、
落ち込むのです。
「やってしまった自分はダメだ」
そんなふうに思えるということは、反省して変わろうとしているのです。
そういう自分であるほうがいい、と思ってほしいと僕は考えます。
僕もよく落ち込みますが気をつけているのが、落ち込む時間を短くすることです。
心がざわざわしていると、いろいろなことをちゃんと判断できなくなる。
判断を間違えることがある。
イライラして人にきつく当ったりしてしまう。
だからとことん落ち込むのは構わないけれど、
その時間をできるだけ短くする。
これは、ズバリ落ち込みや症状との向き合い方の答えですね。
森田療法の専門家ではない栗山監督から森田の本質を衝いた言葉が飛び出したのは偶然ではありません。
この書を森田療法関連図書に加えたいくらいです。
そしてもう一人同じことを100年ほど前に説かれていた方があります。
森田 正馬博士です。
森田療法は、時代や環境に左右されない本当の人間学なのです。
※今日の森田博士の言葉
こんなとき、一番たやすいことはとらわれになりきればよいのです。
悲しみは悲しみのまま、苦しみは苦しみのままであるよりほかにしかたがないように、
とらわれはとらわれるよりほかにしかたがありません。
それは私どもの心の事実であります。
悲しい時に喜ぶことのできないように、
とらわれるときはとらわれを否定することは不可能であります。
2025.3.5 一世