大阪水曜ほっと集談会一世です。
少し心が疲れたり、人間不信に陥りそうなときに聴く曲があります。
同世代のシンガーソングライター 竹内まりやさんの「いのちの歌」です。
竹内まりやさんの歌詞の中に森田療法に通じる感性を感じるのです。
私は正直森田は学ぶものではなく感じ取るものであるという風に思っています。
誤解を承知で申しますが、〇〇学習会を終えたから学び取れるというものではないと感じます。
それは入り口 なのです。
私たちが日々日常生活の中で森田を感じていくのです。
さてもとより、このブログは社会問題を論じるためのブログではありません。
私には、そのような資質も野心もないのです。
しかしながら そのような私でも現代の若い人たちの心の荒れようがあまりにも酷いと思うことが多々あります。
最近一時の感情で簡単に人をあやめたり傷つけたりする事件が数多く見られますね。
そこにはやむを得ずという心の葛藤が見られないのです。
そうかと思えば常に自分が悪いと考えて自己内省性を働かせ自分を必要以上に苦しめている若者もいるのです。
一体 その差はどこから現れてくるのでしょうか。
刹那的に享楽に溺れ一直線に死に向かう若者を見ていると、とらわれ、はからい、思想の矛盾に苦しみながらもより良い人生を求めて生きる努力を惜しまない神経質性格ががいかに恵まれた資質であるかを思い知らされるのです。
アドラー氏も森田博士もシンプルに人はどうすれば幸せになれるのかということをとことん考え抜いた人間ではないでしょうか?
哺乳類の中で、人間が最も受胎しにくいと何かで読んだことがあります。
人間が生まれるということは気の遠くなるような確率なのです。
今日の心に響く言葉
※詩人吉野弘氏、「生命は」より抜粋
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
わたしも あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
わたしも あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
このような優しい気持ちで集談会が開催できたらと感じた一世です。
2023.5.19 一世
※生命は 吉野弘詩集 リベラル社
※吉野弘氏著