
大阪水曜ほっと集談会一世です。
本日のタイトルは、森田博士の自覚と悟りへの道よりいただきました。
先日混雑していたスーパーで買い物をしていた時に若い男性とぶつかりそうになりとっさにごめんなさいと言いました。
相手は無言で立ち去って、なんとも後味の悪い体験でした。
私はこのとっさに出たごめんなさいに自分で驚いていました。
私はこの「ごめんなさい」が言えないために配偶者や職場の人間関係で、随分軋轢を抱えてきました。
直観で自分が悪いとわかっていても、それをねじ曲げ正当化する、かくあるべしが働くのです。
背景には、劣等感があったように感じます。
強情とコンプレックスはコインの表と裏のような関係です。
今でも鮮明に憶えている出来事があります。
お恥ずかしい限りですが、次女が三歳の頃だったと思います。
犬も食わない夫婦喧嘩をした馬鹿夫婦の私達に当時幼い娘が、
ごめんなさいといいなさいと私に言ってくれました。
子供ながらに仲直りのための解決方法を教えてくれていたのです。
子供には、物事を直観で発する魂のような無垢な言葉が宿っているのです。
私たちは大人になってそれを忘れてしまった。
年齢を重ねること、それを果たして成長と呼ぶのでしょうか?
ちなみに配偶者とはお互いにあれからもごめんなさいが言えないことで、ずっと今でも険悪です。(^-^*)
ほっといてくれ!
※今日の森田博士の言葉
善悪をとやかくいうことをしばらく止め、理想を強調することをしばらく中止して、私どもの日常の事実を反省するならば、自分というものが自然にはっきりわかってくるのであります。
2024/11/02 一世