昨夜は、再び、税理士さん、会計士さん、ハウスメーカーさんがいらして、
遺産分割のお話・・・・。
その為に、色々な事を思い出さなければなりません。
忘れかかっていることも有ります。
気持ちの悪いことや色々、そろそろ抜け出せるかと思っていたのに・・・。
が、仕方ありません。
おじいさんの介護に何をどれだけ使ったか?
はっきり言って、あのねぇ・・・・。
オムツだって、尿といパッドだって、服だって、食材だって、
おじいさんの物だけ単独で買っていた訳ではないのです。
あの狂気のような介護の日々に、何かどうだったって言えと言われて・・・。
思い出さないといけないことが沢山あって・・・。
ふと、皮膚科を探して、お父さんと二人、市内を走り回った日のことを思い出しました。
あの頃は、まだ、義姉が暴挙に及ぶ前で、おじいさんは二人がかりで、
手を取る人、腰を支える人という感じで歩いていました。
長距離は歩けないので、病院等では、車いすを借りての受診でしたが・・・。
介護が始まってすぐ、足に褥瘡が出来て、ケアマネさんから、皮膚科に行くよう言われ、
義姉とは連絡が取れず、お父さんの帰りを待って連れて行くことに・・・・。
階段があるところは無理、車いすがあっても段差のある階段のある医院は無理・・。
私が先に車を降り、待合室の様子を見て、おじいさんが待っていられそうな所を探しました。
待合室に明かりがついていれば、診療中です。
明かりのついている皮膚科を探しながら、待合室を覗き・・・。
車いすの有無、階段などを、確かめながら、数軒回りました。
覗いてみては、またダメだったと・・・・。
最後に、娘が小さい頃行ったことのある皮膚科を思い出しましたが、
さて、その先生は、当時既に高齢だったような・・・・。
わらにもすがる思いで、行ってみると、きれいに建て替えられ、
先生は、多分息子さん・・・・・。
車いすは無かったけれど、段差のない入口で、
その前に車を止めて、おじいさんを中に入れることに・・。
手すりがあったので、つかまらせ、私が腰を支え、
お父さんが、駐車場に車を入れてくるのを待ちました。
それに気づいた看護師さんが、優しく、おじいさんの手を引いて、
椅子まで一緒に連れて行ってくれました。
まだ、骨折の痛みがあった頃だったので、座っているのが辛そうな様子を見て、
空いている診察室のベッドで、横になって待たせてもくれ・・・。
皆さん優しくて、帰る時も、お父さんが車を取って来る間、移動を手伝ってくれて・・。
その優しさが嬉しくて、思い出すと涙が出そうに(出ます。)なります。
その後、義姉に報告しましたが、今度は自分一人で連れて行くと息巻いて、
やはり、怒りだしました。
「私だって、出来る!!」とか・・・。
よく、意味が分からない・・・・。
数回、その皮膚科には、通いました。
若先生は、「あまり何度も通うのは大変だからね。」と、おっしゃり、
後は、薬を塗れば良くなると、通院も、3回程だったでしょうか・・・・。
先生が優しいから、看護師さん達も優しいのでしょうかね。
結局、何だかんだという割に義姉は、一度も行きませんでしが・・・。
色々、思い出したくないことも思いだしましたが、
介護時代、沢山の優しさにも出会ったような気がします。
辛い介護時代だったから、余計に人の優しさが嬉しくて、泣けたんでしょうかね。
遺産分割のお話・・・・。
その為に、色々な事を思い出さなければなりません。
忘れかかっていることも有ります。
気持ちの悪いことや色々、そろそろ抜け出せるかと思っていたのに・・・。
が、仕方ありません。
おじいさんの介護に何をどれだけ使ったか?
はっきり言って、あのねぇ・・・・。
オムツだって、尿といパッドだって、服だって、食材だって、
おじいさんの物だけ単独で買っていた訳ではないのです。
あの狂気のような介護の日々に、何かどうだったって言えと言われて・・・。
思い出さないといけないことが沢山あって・・・。
ふと、皮膚科を探して、お父さんと二人、市内を走り回った日のことを思い出しました。
あの頃は、まだ、義姉が暴挙に及ぶ前で、おじいさんは二人がかりで、
手を取る人、腰を支える人という感じで歩いていました。
長距離は歩けないので、病院等では、車いすを借りての受診でしたが・・・。
介護が始まってすぐ、足に褥瘡が出来て、ケアマネさんから、皮膚科に行くよう言われ、
義姉とは連絡が取れず、お父さんの帰りを待って連れて行くことに・・・・。
階段があるところは無理、車いすがあっても段差のある階段のある医院は無理・・。
私が先に車を降り、待合室の様子を見て、おじいさんが待っていられそうな所を探しました。
待合室に明かりがついていれば、診療中です。
明かりのついている皮膚科を探しながら、待合室を覗き・・・。
車いすの有無、階段などを、確かめながら、数軒回りました。
覗いてみては、またダメだったと・・・・。
最後に、娘が小さい頃行ったことのある皮膚科を思い出しましたが、
さて、その先生は、当時既に高齢だったような・・・・。
わらにもすがる思いで、行ってみると、きれいに建て替えられ、
先生は、多分息子さん・・・・・。
車いすは無かったけれど、段差のない入口で、
その前に車を止めて、おじいさんを中に入れることに・・。
手すりがあったので、つかまらせ、私が腰を支え、
お父さんが、駐車場に車を入れてくるのを待ちました。
それに気づいた看護師さんが、優しく、おじいさんの手を引いて、
椅子まで一緒に連れて行ってくれました。
まだ、骨折の痛みがあった頃だったので、座っているのが辛そうな様子を見て、
空いている診察室のベッドで、横になって待たせてもくれ・・・。
皆さん優しくて、帰る時も、お父さんが車を取って来る間、移動を手伝ってくれて・・。
その優しさが嬉しくて、思い出すと涙が出そうに(出ます。)なります。
その後、義姉に報告しましたが、今度は自分一人で連れて行くと息巻いて、
やはり、怒りだしました。
「私だって、出来る!!」とか・・・。
よく、意味が分からない・・・・。
数回、その皮膚科には、通いました。
若先生は、「あまり何度も通うのは大変だからね。」と、おっしゃり、
後は、薬を塗れば良くなると、通院も、3回程だったでしょうか・・・・。
先生が優しいから、看護師さん達も優しいのでしょうかね。
結局、何だかんだという割に義姉は、一度も行きませんでしが・・・。
色々、思い出したくないことも思いだしましたが、
介護時代、沢山の優しさにも出会ったような気がします。
辛い介護時代だったから、余計に人の優しさが嬉しくて、泣けたんでしょうかね。