~ 恩師のご著書「講演集」より ~
講演集、 一
「お墓のない村、その教え」
先の続き・・・
面白い習慣があるもので、
お坊さんと神主さんだけは木の墓標を建てられるのですね。
木の墓標は、竹のことを思ったら何年も長持ちします。
しかし一回建てて腐ったら建て替えることはできない。
墓標が立っている限り、
そこを掘ることはできない。
一般の方は竹ですから三年も持たないのです。
だから参る墓がなくなります。
お寺の坊さんと神主さんはその何倍かもつのですが、
それも腐ったらもう駄目です。
この狭い土地に一体いくつの墓があるかと、
立てた竹の先を縄でくくった鳥籠のような
ものを数えると、二十八個ありました。
墓地に行っていろいろ説明を聞いたのですが、
お盆から後は余り草が伸びません。
春になると雑草が三メートル以上に伸びてくる。
こやしが良く効いていますからね。
それでお盆に村中の人が出て、墓掃除をするそうです。
その時に崩れかけた竹は全部取り除いてしまう。
だから無くなったら今度お参りしても、
お墓はもうありません。
何とも今の日本の国内にこういう場所も残っているのですね。
今でも雨がしとしとと降る夜は、
リンが燃えて青い火の玉が墓地から立ち昇るそうです。
では、なぜこんな習慣がいまだに残っているのでしょうか。
それはその土地に住む人達の心掛けです。
自分さえ良かったらいい、自分に災いが来なかったいい、
という思いによるのです。
やがて自分が死んだらそこに埋められるのに、
何とかしようという気持ちが起こらないのです。
村の因習、陋習にしばられており、
だから村そのものも栄えません。
村にはお寺もあり、お坊さんもそこに葬らているのですから、
お話になりません。
~ 感謝・合掌 ~