~ 恩師のご著書「講演集」より ~
講演集、 一
当たり前のことを「実践する」
こういう話をしますと皆、
そんなことは当たり前のこととおっしゃいます。
ところが、この当たり前のことができないから苦しむのです。
在る所へ行きました時、
在る宗教の方が私をやっつけてやると言って
お見えになっておりましてね。
休憩の時間に「どうでございますか」と聞きますと、
「言うていることを聞いたら当たり前のことや。
私ら二歳、三歳の頃から親に教えてもろうて皆知っている」
と言われます。
「正しいことは皆当たり前のことです。
変わったことは何もありません。
貴方が二歳、三歳で知っていることを、
今四十、五十になってできていますか」と聞きましたら、
「そんなこと人間やったらできん」と言います。
「いや、そんなことはありません。
私は人間だけどできています。
腹を立てたらいかん、
愚痴を言うたらいかん、
悪口を言うたらいかん、憎んだり、貪欲に捉われたらいかん。
皆当たり前のことです。
しかしこれを実行できる人は少ないのです」と話しました。
白楽天と言いまして、中国に偉い詩人がおりました。
その当時フクロウ和尚といって、
いつも木の上で坐禅をなさって悟った方がありました。
木の上で悟ったからフクロウ和尚と呼ばれていた方です。
一体どの位偉いか試してやろうと思って、
その白楽天なる詩人が訪ねて行きました。
「和尚」と呼びかけたのでしょう。
「人が幸せになるには、どのようにしたらいいか」と
尋ねますと、和尚は「作善止悪」と言いました。
善を作って、悪を止めよという意味です。
それを聞いた白楽天は大笑いして、
「そんなことは子供の頃から知っている、話にならん」
と言ったというのです。
木の上から返って来た言葉は、
「三歳の童子これを知る。
百歳の翁これを行えず」でした。
三歳にして私達は親から正しいことを教わる。
しかし百歳にしてこれを行えないのです。
これが正しい教えです。
だから、その宗教人に言いました。
「三歳にしてこれを知り、百歳にしてこれを行えず。
行うのが修業です」と。
滝に打たれたり、経文を唱えたり、高い山に登ったり、
そのようなことをしましても、
悪を止めて良い行いを積まない限り、
何の功徳もありません。
~ 感謝・合掌 ~