恩師のご著書「講演集」より
講演集、一
「イエス・釈迦の原点に帰れ」
高橋信次先生は、釈迦・イエスの教えの原点に帰れと言ってお話をなさいました。
今の仏教・キリスト教は原点から遠く離れているところがあります。
今の仏教のように、祀りなさい、拝みなさい、供養しなさいとは、
お釈迦様は一つも説いておられません。
お釈迦様は生きた人間を救う為に人が幸せになる道を説かれ、
死んだ人間のことは説いておられないのです。
今の仏教は、
生きた人間より死んだ人間のほうが主になることが多いですね。
亡くなりますと、まず枕経、そして七・七・四十九日まで参ってくれます。
また三回忌、七年忌と一人死んだらずーっと御参りが続きます。
諺にも「お前死んだらわしゃ嬉しい、むかわり三年、また七年」というのです。
「七日七日に米五合」といって、
昔は一回お坊さんにお参りしてもらうとその都度米五合あげたのですね。
それはお坊さんの収入になっているわけです。
人が死んだらそれがお坊さんの収入源ですが、
お釈迦様はこんなことはおっしゃっていない。
先日四国に行って聞いた話です。
四国の或る有名な札所の寺です。
そこでお寺の偉い坊さんの会議があったそうです。
その村の人がたまたまお寺の修理に行っていまして、
山にある寺なので泊り込んで修理に励んでいたのです。
今晩は偉いお坊さんの会合があるから有難い話を聞こうと思って
床下に潜って聞いたというのです。
どんな有難い話をされるのかと思っていましたら、
「うちの寺は今年は大豊作であっての」
とか「うちは不作だった」とか聞こえて来たので、
坊さんが米を作るのはおかしいと思い、よう聞いてみると、
檀家で死人がたくさん出るのが豊作、葬式の少ないお寺が不作と言ってるいのです。
それを聞いてびっくりしてしまいまして、ほんとうに怖いですと話していました。
こういう話をすること自体が悪口になるのですね、そして私の心は曇ります。
これはお釈迦様の教えの原点からはずれた一例としてとりあげました。
お釈迦様の言葉として聞いて下さい。
~ 感謝・合掌 ~