恩師のご著書「講演集」より
講演集、 一
「調和のすばらしさ」
この世に生まれた目的とは、前回でも触れましたが、
人々と互いに手を取り合って助け合い、愛しながら調和を目的として生きることですね。
「調和」とは素晴らしい言葉ですし、政治家も調和などとよく使っておられます。
調和とはバランスです。
どちらに片寄ってもならない。
やじろべえはどちらも重さが釣り合っているから、細い先に立てても落ちない。
調和がとれているからで、どちらかを重くしますと落ちてしまいます。
私達は日々の生活の中で常に、そのどちらにも片寄ってはなりません。
例えば先程の母娘の場合のように、姑さの為に付きっきりで夜通し世話をするのは良い行いです。
しかし子供を放っておいて、バランスの重さが姑さんの方へ余りにも片寄り過ぎて、
子供への重さがなかった為に、不調和が起きていたのです。
バランスをとるというのは、お姑さんの世話もしなくてはいけないと同時に、
子供さんへの愛も注がなくてはいけなかったのですね。
そのお母さんは後になって尋ねられました。
「姑さんの為に尽くしていたら、それは良いことだから、
その徳は子供に与えてもらえると思ったのですが―――」と。
いいえ、これは与えられません。
神は平等です。
姑さんに対してよく尽くされたことは親戚も病院も家族の方も皆、この点についての評価はします。
しかし子供の心に寂しい辛い思いをさせた評価も、間違いなしに受けるようになっているのです。
だから、日々の生活がいかに大切であるかということです。
良い事をしても、そちらに重みをかけ過ぎたらアンバランスになります。
よく恋愛結婚をして好きだと言い合っていても、子供ができますと奥さんの愛城が子供の
方へ行き過ぎて、その主人がヤキモチを焼くという例があります。
これなどもバランスが崩れるから主人が面白くないのですね。
調和を欠いているわけです。
ですから常に調和するように、心の重さを検討しながら生活することですね。
でないと、いかに良い行いをしても不幸にはまる例があります。
それと良い行いをして、その後に自分の心を苦しめた時も、
せっかくの良い行いは悪に変わります。
~ 感謝・合掌 ~