恩師のご著書「講演集」より
講演集、 一
「正しい真の信仰」
先の続き・・・
例えば、神様にたくさんのお金を供えたとしますね。
そして生活の中で過ちを犯し死んで地獄に行って苦しいものだから
「神様、私はお金をたくさんお供えして一生懸命信仰したのに、
なぜ極楽に受け入れてもらえないのですか」
と尋ねた時、神様は「私はあなたから一銭もいただいておりません、
だから私は知りません」とおっしゃいます。
神様には届いてはいません。
私は或る時、神だといって現れた神様と会話をさせてもらったことがあります。
その神は「エイッ、エイッ、私はXXの神だ。人間と云う奴は厚かましい奴だ。
あの願いをみよ。商売繁盛、家内安全、病気を治してくれ、金儲けもさせてくれ。
厚かましい奴は死んでも命のあるようにと言う。
本当に厚かましい。
いっぱい頼んでおいて、あのあげる賽銭を見よ、五円や十円で、わしゃ聞けるか」と
言われます。
「それはその通り、人は頼む事多くして、為す事少なし、私もそんなことを聞くのは嫌です」
と言うと、「そうだろう」と勢い込んで、そこで止めておけばこの神さんは偉かったのですが、
ところが本当の神とは違って、一般にある偽の神だったものだから、「神の世界も
人間の世界も皆一緒だ。ゼニも要れば物も要る。
もっと賽銭をあげろ、物を供えろ」と言ったのです。
「いやいや神さん、あなたはちょっと間違った。神の世界は物やお金を必要としません」
すると、「いや要るのだ」とおっしゃいます。
それでは「物質化現象として現れたこの世の現象界の物質を、なぜ実在世界に必要とされますか。
現れては消え、現れては消える。その本質のないものをなぜ実在界が求めますか」。
それでもどうしてもお金が要ると言うので、水掛け論になりますから、私のポケットを
探しましたらちょうど三千円入っていましたので、神様に、
「今このポケットの中にさいわい三千円入っておりました。この世のお金です。
これをあなたに差し上げましょう。
もしこのようなお金が誠に必要であれば、私の前からあの世、
つまり実在の世界に持って行きなさい」と言いましたら、
神はビックリして「ウアー、ウー」と唸ったので、
私は内心、神さんが本当にこのお金を持っていったら恐ろしいなあと思っていたのです。
しかしそのままお金はなくなりませんから「いかがですか」と尋ねましたが、
お金はなくなりません。
三千円おいたままです。
「むずかいいのう」と言います。
~ 感謝・合掌 ~