恩師のご著書「講演集」より
講演集、 三
「法」に生きる日々
先の続き・・・
自分の心に目覚めてほしい」それだけです。
そして今、日本国中に招いていただいておりますが、一切の制約―――
こうしなさいとか、研修会があるとか、そんなものは何もありません。
もし私の心に、これぽっちでも、望む心、或いは自分の名声、地位、
お金への思いがありましたら、これはもう「法」ではないのです。
法とは、自らを犠牲にして他を生かす行為です。
自分自身を犠牲にして他の幸せの為に奉仕することが、法の実践ですね。
その行為を少しでも真似させていただくのです。
私も、完成された立派な人間とは違いますが、しかし真似ぐらいはできます。
お陰様で三百六十五日ただの一日も休みをいただけません。
ゆうべも東京からお客様が七人来て下さいました。
私にとりましては、大事なお客様です。
せっかくお見えになっていますのに、お愛想もできないのです。
ほんとうに申し訳ないことだなあと、心からお詫びいたします。
というのは、交通事故に遭われた方が、約一か月ほど植物人間のようになって
しまわれて、熱が四十一度にも上がったそうです。
物は吐く、うわ言を言う、胸が苦しい苦しいと、苦しまれたそうです。
その日のお昼、ご主人から電話を頂いて、「先生、何とか家内を助けて下さい。
助けて下さい」と言われたので、「私は、今たくさんの方が見えていて、病院に
行くことができないのです。しかし、祈ることはできます。ご主人、あなたも
心から祈って下さい。私もこちらで心の中は自由に動かしてもらえます」と
言って祈りました。
ご主人にも、四十分ぐらい祈っていただいたのですね。
そうしますと、熱が下がって、それから四日間、
奥さんが突然スースーと眠られたそうです。
それまで、目をむいたまま一睡もできないでいた方がです。
ところが、このことを知らないで、今度はご主人のお母さんから
「先生、助けて下さい。助けて下さい。
触らず、何もできなくていいから、病院に来て下さい。
病院に来てもらえませんか」と泣いて頼まれたのです。
ところが、昨夕は運悪く禅定の日に当たっておりました。
そして、六時前まではお客さんが治療に見えていましたし、
「六時十五分から約一時間禅定の為に坐らせてもらいますので、七時半には
出られると思いますから、七時半に迎えに来て下さい」と言いまして、
皆さんに待ってもらったまま、お客さん全部を放っておいて、
私はちょっと用意をさせていただき、お茶漬けをこそこそ頂いてから、
病院に行かせてもらいました。
すると、嘘のようによく休んでおられたのですが、パチッと目を開かれて、
「ああ、長尾先生ですか」と言われます。
「分かりましたか、ここの苦しいの如何ですが」と胸をさすりましたら、
「何の苦しみをありません」と言ってくれました。
熱も三十八度ぐらいまで下がってきましたので、
「よかった、よかった」と言って、すぐ送ってもらって、飛んで帰りました。
しかし、家のほうには入らず、すぐまた今度はお客様のほうに飛んでいきまして、
十時までお話させていただいたのですけど、
今日、こちらの寄せていただくのに用意もしなくてはいけませんし、先に失礼したのです。
皆さんは、そのあと十二時過ぎまで話し合いをしていただいたそうです。
~ 感謝・合掌 ~