浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「講演集」より。

2015-05-26 04:52:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


               念仏の功徳


北陸地方に行きますと、あちらは、今でも他の宗教の入り込む隙のないほど、
念仏宗のさかんな所です。
「只一念、念仏申す、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、やっておられます。
この「南無阿弥陀仏」、「只一念、念仏申さば、善人なおもて往生をとぐ、
況や悪人をや」という言葉が「歎異抄」にあるそうですね。
お仏壇の前だけで、またはお寺で、ただナンマイダ―、ナンマイダーと言っただけでは駄目です。
四六時中唱えていると、ご利益があるのです。
他力では救われないという極論もありますけど、それはそれで、救われるのです。
というのは、人間の心はどんな器用な方でも、二つのことを同時に思うことはできません。
必ず一つ一つしか思えないはずです。

悲しい時は悲しいだけ、嬉しい時は嬉しいだけの、その一つ一つしか私たちの
心は動いておりませんから、南無阿弥陀仏と唱えている間に、
「あいつをド突いてやろか」と、同時には思えません。
人間の心の構造からして、他の思いが入り得ないのです。
ああ、結構だなあ、ナンマイダブ、ナンマイダブツと唱えていますと、これは
感謝の心にもつながります。
どの宗教も、「感謝をしなさい」と言いますが、
「なぜ感謝しなくてはいけないのか」という、ほんとうの意味を教えてくれません。
しかし、「ありがとう、ありがとう」と感謝しますと、その時間は他のことを
思えないはずで、もし、感謝の時間を一時間持続しましたら、今日の日の
一時間の間は、自分の心の苦しみとなる怒りや憎しみや謗り、愚痴、或いは
恨み、取越し苦労、不安、恐怖、或いは嘘、盗みの心は入ってきません。
「ありがとうございます」と言いつつ腹を立てることはできないはずですから、
その時間が長ければ長いほど、その方の一時間、二時間が喜び、満足に
みたされます。

安らかな喜びの時間が長くなります。
今日という一日は、私たちのかけがえのない一日です。
又、明日がある、明日やればいいと思いますけど、今日という日は私たちの
人生に再びは巡ってきません。
平均寿命七十年、日割り計算しますと、僅か二万五千日そこそこです。
その中の今日の一日です。
二万五千日のうちの今日の一日は完全に消え去っていきます。
余所の方が亡くなったと聞くと、「ああ、若いのになあ」と、まるで人ごとの
ように思いますが、しかし、これは自分の姿です。
やがて自分に訪れるのがあの死の姿ですね。
人ごとではありません。
この世に生まれさせていただいた以上、誰も永遠に生きることは許されません。
必ずあの世に帰っていかなくてはいけないのが、私たちの定めです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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