恩師のご著書「講演集」より
講演集、 三
ご先祖様への供物は感謝の形
では、お仏壇の前で「さあ、早くご先祖様召し上がって下さい」と言って、
ご仏飯をよそって差し上げましても、一体、あんな小さいご仏飯にご飯粒が
何粒入っていると思いますか。
私たちのご先祖様は、三十代も溯りますと、十何億という数になるそうですから、
「ご飯を召し上がって下さい」と言って、差し上げても、ご仏飯の中に
何億ものご飯粒は入っていません。
よくあっても、何百粒でしょから、これではご先祖様に足りません。
あるお宅へ寄せていただきましたら、お仏壇に、湯呑みが四十数個も供えてあるのです。
それにお茶を入れて、毎日お茶湯(ちゃとう)されています。
またあるお宅へ行きますと、大きな丼茶碗に何杯もお茶が供えてあります。
丼茶碗にです。
なるほど、大きな丼茶碗、或いは四十個もの湯呑みをずうっと並べまして、
お茶をなみなみとついで供えていましても、私たちのご先祖様はそんなに
少なくないのです。
これでは、ご先祖様にはとても足りません。
極楽へ行きますと、ご飯と言えばすぐ出てきますので、何の不自由もしないのですね。
ですから、ご先祖様にお茶を差し上げ、炊きたてのご飯を供えるのは、
「ご先祖様のお陰で、こうして温かいご飯を頂戴できます。
ありがとうございます」と言って、感謝の気持ちを形として表すのです。
ですから、「ご先祖様、食べてください」と言って供えますと、ご先祖様は
難儀されます。
ご飯の取り合いをして、「俺の飯、もうない」と、必ずそういうことになります。
お茶もそうです。
阿弥陀様など三尊様には、一つずつで三つ差し上げたら足りますけど、
ご先祖様にはとても足りません。
~ 感謝・合掌 ~