ここに添付しましたお写真については特に説明は必要としないと思いますが、
お写真は一般的に云われている恩師「長尾弘」先生の後光が
カメラに収められたものです。
このお写真は恩師がイギリスのロンドンを訪問された時に後光を写す
専門の写真屋さんで写されたものです。
この類のお写真を専門用語ではキルリアン写真と言うそうです。
この時、恩師と同行された学びの友の方数名も恩師が写されたお写真と
同じ場所・条件で撮影されていましたが、皆さんとても変な色
(赤、ピンク、灰色など)と形をしていましたね。
恩師の後光のような舟形光背の方はお一人もおられませんでした。
後のご講演会で恩師ご自身がこの時写された各自のお写真を
提示しながら説明されておられました。
(ビデオにも撮影されています)
恩師の師「高橋信次」先生のご著書「心の原点」で後光について
説明されていますが、その説明によれば、ここで紹介しました恩師の
後光はその形状・大きさ・淡い黄金色・の総合判断からお釈迦様の
後光や如来様のそれとまったく同じものと判断できるかと思います。
お釈迦様やイエス様の絵や仏像には後光が描かれていますが、
今のこの世で恩師のこの様に後光が出ている方のお写真やましてや
実物を恩師以外に見たことがありません。
恩師のご著書「講演集」より
講演集、 一
「過去世が蘇った例と転生の証明」
でも私の前に、そんな縁者が出て来られると、
必ずその土地の向こうの言葉で話しかけて来られます。
当時イスラエルにおられた方が現れた時は、もう立て続けにしゃべって止まらないのです。
言っている言葉は何を言っているのか分からなくても、意味は大体分かります。
他の者が話しかけても、その人には通じないのですが、私が日本語で言うとちゃんと通じます。
「あなたは私の言葉が通じますか」と言いますと、ゼスチャーで「分かります、分かります」。
「ではあなたはこの方の守護霊ですか」と聞きますと、「違う違う」と、もう日本語を
しゃべらない―――しゃべれなくなっているのです。
「違う」とおっしゃるから、「ではあなたはこの方の魂の兄弟ですか」と言いますと無言。
そして、「あなたはこの方の守護霊です。守護霊いならば、この方をしっかり守護してください」すると
「いらん、いらん」と言うので、「守護霊が守護しないとは何事ですか」と言うと、自分の胸を指して
「こいつは駄目だ」と言うのですね。
「過去は駄目だったけど、今は一生懸命精進なさっているのは、あなたが一番良く知っている筈です。
しっかり守護して下さい」と言うと、「では承知しました」と向こうの言葉で言うのです。
難儀なことに日本語が全然話せないので、「私と出会った時は、この方を支配されても結構
だけど、一般の社会では、この方にこういう現象を出さないように注意して下さい」と
お願いしたのです。
それは社会に混乱を起こすからです。
そして、今度お会いするまでに日本語を少し勉強しておいて下さいと頼んでおきました。
すると一週間経ってお会いした時、守護霊をその方に入れますと、
「ワタシー日本語少シ話セマス。
日本語ハ、ムツカシイネ」と少々日本語を話します。
「過去、どこの国に住んでおられましたか」と聞きますと、「イスラエルでございます」。
こういうことがあって三カ月後にお会いした時、これは或る会場で皆さんに向かって、
「守護霊さんに入ってもらいましょう。
百聞は一見に如かず、転生輪廻の証明になりますから」と言って、その守護霊にお願いして、
その人の中に入ってもらいました。
そうすると日本語を上手に話されます。
向こうの言葉で話してから、カタコトの日本語で「この場所に、あの世の友がたくさん
お見えになっています。
一緒だった方があります。
あなたは尊い神の光を与える力を授かっています」「私にはそういう力はありません。
これは神が与え給うたのです」そして「
今から六百年の昔、あなたさまと伝道の旅を続けました」と言います。
これはキリスト教の教えを伝えた当時の記憶が戻って来たのです。
「とても広大な土地でありました。
水を求める方々がたくさんありました。
馬、驢馬の背中に大きなカメ、皮袋をいっぱい乗せて、水を求める方々に与えた、
とても苦しい旅をした記憶がございます。
あなたはやさしい笑顔と思いやりの言葉をもって人々を導きました」と、
記憶が蘇ったら、遠い時代のことをはっきりといわれますね。
皮の草鞋と皮ひもを足にくるくる巻いたものを当時履いていて、
石ころをポンと蹴ると足がとても痛かった、という記憶まで持っていました。
そんな方があります。
生まれ変わりなどと言いますと、本当かなと思いますけど、現実にあります。
今の科学的な、この世的な見方をしますと、あら、頭が少しおかしいのと違うかとか、
面白いことを言うとるとか、そういう判断をなさる方も多いと思いますけど、これは現実にあります。
見えない世界で、こういう方は光の世界の方です。
一方、この世で間違った生活を送って成仏できず、地獄の迷える世界に落ちている住人が
間違いなしにおられるということです。