十一年間歩くことができずに車椅子の生活をしていたお写真の青年が
恩師「長尾弘」先生に完全に癒され翌日自転車で癒しの会場にこられて
癒された喜びの感動を皆さんに報告されているところです。
イギリスロンドンにて。
~ 恩師の御著書「講演集」より ~
講演集、 一
「母娘の責め合いと反省の功徳」
神戸にあるお城のような大きなお屋敷で、
一度入ると今度は出口が分からんようになる程の大邸宅があります。
普段使うのは勝手門、
門から100メートル程離れた所にその勝手門があり、
土塀をめぐらしてある。
そんな大きなお宅ですけど、住む親娘は敵同士のように仲が悪い。
六十近いお母さんと、四十前の末娘さん、
その娘さんが養子さんをもらって住んでおられるのです。
お孫さんは小学校の小さい子です。
お母さんが言うには、「この娘は敵、
前世の敵が自分の腹を借りて生まれて来たのか思う」
それ程、親を苛めるのだそうです。
箸がこけたのまで、
お母さんの心掛けが悪いからだと言って責める始末。
その娘さんは妙な信仰に凝って、お母さんのすること為すこと、
またお母さんの出掛けた先まで全部、
宗教の所に行って連絡するのです。
そうすると、宗教の神様が「そりゃ、お母さんが悪い」と言う。
それをまた家でお母さんを責める材料に使う。
親にしたら堪らんです。
よく嘆きの相談に来ておられましたので、
「その娘さんが信仰に行っていたら、
お母さんも一緒に行ってあげなさい」と言いますと、
「妙な霊にとりつかれると怖い」とのこと。
「本当に愛があれば自分を捨てて、
その娘さんを救ってあげる為にも
共に行ってあげるのが愛ではないでしょうか」と話したのです。
しかし「そこまではようしません」とおしゃいます。
そうして自分はいつも正しいと思うから
苦しいのだという話をさせてもらいました。
自分を主として見た時、必ず苦しみが生まれます。
なぜかと言うと、自分を主として見ると、
この五感を通して見ることになります。
目、耳、鼻、舌、身ですね。
この五感は私達の肉体を保護保存する為に与えられた道具です。
どれ一つをなくしても生きるのが困難です。
この五感を通して自己中心に見て判断すると、
間違う場合が多いです。
必ず自己保存と自我・我欲つまり
「業」に捉われた見方になるのです。
だから自分を中心として見た時、必ず苦しみの中にいます。
この苦しみからのがれる為には、
常に相手の立場に立って自分から離れて見ることです。
相手の立場に立つ、善意なる第三者の立場、
或いは私達を生かして下さる神様の立場にたって、
自分と相手とを観察していく時、
自己保護から離れた間違いのない見方がしていけるようになるのです。
私達は自分が正しいと思って生きていますが、
自分を反省して相手の立場で考えてみますと、
とんでもない迷惑をかけている場合があるのです。
自分より相手はどうだったかと思う癖を常につける練習をした時に、
物の見方が変わってきます。
そのように話をさせていただきました。