浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

集い来る過去世に学びし
友がらの一人一人の
愛おしきかな

「御垂訓」

2020-08-16 00:31:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がインドのお釈迦様の涅槃堂に安置されている
お釈迦様の涅槃像にお祈りされると必ず天空から金粉・金箔が舞い降ります。
この金箔を恩師ご自身が掌に置かれて示されています。


恩師のご著書「講演集」より

         講演集、 一

       「悪魔の正体」


先の続き・・・

己が偉大である、己だけが偉い人間である、なぜか?
自分の過去世が偉大であるからである、そのように思い込み
、日々の行いができていなかったならば、
これは笑い話しにもなりません。
己が偉いと思い込み、増長慢にとらわれて他を非難中傷して
止むことを知らない心、又、
人の過ちを絶対に許さないで何十年間を過ぎてもなお
責め続ける心こそ、悪魔の正体であると見るべきです。
ブッダはこのような人を真の愚者ときめつけておられます。
人は鏡の前に立てば自分の姿が見えます。

それと同じように、悪魔は良き人の前に出れば己の姿を映し出し、
その人を悪魔だと言い、動物霊はその人を動物霊だと言い、
低級霊はその良き人を低級霊と呼ぶでしょう。
又別の悪魔もあります。
それは私達のこの肉体の五官の感覚、自己保存と自我我欲、
私達が此の世でどうしても乗り越えなければならない偽我こそ、
私達の心の隙を常に狙っている悪魔の正体です。
空腹で堪らない時、誰もいない所に御馳走がおいてあると、
無断でも食べたいなあと思う心、ブッダは「己に与えられた
物以外の何物をも我が物にしてはならない」と説かれています。
又肉体もそうです。
つらい思いをするより楽をしたい。
働くより、遊びたい、他人より自分が大事である。
みんな偽我です。


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