お写真はモーセの御足を慕っての恩師「長尾弘」先生の
旅でエジプトからシナイ半島を渡りヨルダンに入って
モーセの終焉の地「ネボ山」に建立されているモーセの
教会を見学して後、
カイロ国際空港へバスで移動していた時、
バスの車窓より天空にご覧のようなアラビア語を
この旅に同行されていた学びの友が見られ、
カメラに収められました。
意味は「何かが出現する」との意味だそうです。
キリスト教ではイエス様の再臨を伝道の大切な一つとして
説かれていますよね。
このことに関係することかな(?)とも思ったりもしています。
お写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」
にも紹介されています。(261ページ)
恩師のご著書「講演集」より
講演集、 一
「正しい真の信仰」
信仰は正しいものと、そうでないものとあります。
それぞれに魂の次元に応じて信仰なさったらといいと思います。
しかし早く魂に目覚めて成長して、
玩具の要らないようにすることが大事です。
幼児から早く成長することです。
いろんな霊能者とか、不思議な信仰の力をもって人を
癒したりする宗教もあります。
しかし本当の正しい力には及ぶことはできません。
ある念の力で、例えばその信仰によって偶像を
持つことで神の光をいただける、
そして光を取り次したら病気が治るという信仰もあります。
けれども神の光はお金では買えないのです。
それは真心によって与えられるものです。
真心による正しい行動によって、神の光が与えられます。
そして正しい心を知らないでそういうことをしていますと、
とんでもない霊的現象が起きますね。
蛇のように這いずり回ったり、身体が揺れたり、
これらは全部悪霊が出て来るのです。
そういう場合は大変な危険が伴っています。
霊能者とか、心霊治療とかありますが、先程話しましたK先生などは、
本に書いておられるように、幼い頃からずっと霊の
憑依を受けていたのですね。
自分自身が憑依体質で、そういう中から救う立場に変わられたのです。
しかし本質はとりつかれる体質です。
私は今、腰の治療に通っているとか、私は体が不調和でないと
生き甲斐がないとか書いて
おられますが、不調和だから身体が悪くなるので。
調和しておれば悪くなる筈はありません。
そこから見ても分かるでしょう。