浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「御垂訓」

2021-03-20 01:46:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
       恩師のご著書「講演集」より

                   講演集、三

               子供は親に目覚めを導く


先の続き・・・

そのような生活を続けて、
三年ぐらいかかりましたけれども、
だんだんと良い子になってくれました。
早く帰ってくると、自分も気持がいいですから、
「パパただいま」と、元気な声を出して言いますし、
私も「ああ、よう帰ったな」と言って、

それまでの心配な状態は消えました。
お陰さまで大学に行かせてもらい、
その結果、今は私の家とは格違いなほどの
結構な所へもらっていただいて、
男の子を一人授かっています。

その子も一歳八カ月ぐらいになりまして、
今はかわいい盛りです。
上の子は学校の先生とご縁がありまして、
この子も幸せに暮らしています。

こちらも、子供が授かりまして、
私は四人の孫のおじいちゃんです。
おじいちゃんと言われるのはいやですからね。
孫はみな私のことを「パパ」と言うのです。

娘たちが私のことを「パパ」と言っていますから、
そのまま孫もいっしょになって、
「パパ」と言っています。
この孫たちも上の子はもう小学校です。
ほんとうに幸せいっぱいの生活をしています。
そんなつらい経験の中で、

私はいろいろと考えたのです。
原因、結果の法則から見て、
もし、その子供がほんとうに悪い子であれば、
今のように、人のうらやむような幸せを
与えられるはずがないのです。
いい子であったから、今の幸せを頂いているのです。

では、私に対して心配や、苦しみが与えられたのは、
これは一体何であったのか、と考えていきますと、
私という愚かな人間を少しでも良き人間に目覚めさせ、
何とか私が持っている悪い癖、欠点を正そうとして、

子供として最も罪深い親不孝という罪を自ら背負って、
親の私に心配をかけることによって、
私に目覚めを与えてくれたのです。
子供には何の罪もなく、
悪いのは私自身だったのです。


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