恩師のご著書「講演集」より
講演集、三
偶像は神理を伝えない
「多宝塔だと」いって、大きな塔を建てた人があります。
あれはA宗教で、信者さんに多宝塔を買わせて、
千日講といって千日拝むのだというのですが、
そんなものを拝んでも、何の意味もありません。
モーセは、「偶像を信仰してはならない」と言っておられます。
偶像とは、人が手をもって作った形あるものです。
人間がその手をもって作った物は、
その材料が金であっても木であっても、
又、ちゃんと目があり、鼻があり、口があり、
手足までついていても、動くことはできません。
偶像は動かないものです。
目がついていても、見ることはできませんし、
耳がついていても、聞くこともできません。
口がついていても、ものを言うこともできない、
そんなものがどうして人を救うことができるでしょうか。
聞くことができないものに、
こちらからいくら頼んでも聞こえるはずはないし、
話すことのできないものが、どうして神理を伝えてくれますか。
形ある人間が作った偶像は、見ることも、
聞くことも、喋ることも全くできません。
なぜかというと、その中には神の命がないからです。
神の生命が通じていないから、生きるものとは違うのです。
神とは、人が作ったものではなく、人を造り給うた自然の力、
これこそ、ほんとうの神様です。