恩師のご著書「講演集」より
講演集、三
子供は親に目覚めを導く
先の続き・・・
神様に対して不満の思いを持ち、
神様に文句を言っている時の自分の心は、
鬼みたいなものです。
帰ってきたら、頭からどなりつけ、或いは殴ったりします。
しかし、神様に「私のもとに子供をどうぞ帰して下さい」と、
自分からお願いした時、子供が帰ってきて、
まず顔を見せてくれましたら、
神様に対して、
「よう帰して下さいました。ありがとうございました」と言って、
心から神様にお礼を申し上げますね。
そして子供に対しては、「よう帰ってきたな」という言葉を
かけるようになります。
一晩、二晩、三晩と、家を空ける時もありました。
それでも帰ってきたら、「よう帰ってくれた」と言い、いくら遅くても、
風呂を沸かしてちゃんと入れるようにしておいて、
「早くお風呂にお入り、こんな無理をして体をこわしたらいけないから、
少しでも休まないといけない。
早く寝なさいよ」と言って、今までの鬼のような心は全く
消えてしまいました。
夜も寝ないで、神様に文句を言っていた頃をふりかえりますと、
「なぜ帰ってきてくれないのか、こんな子供に育てたはずはないのに、
なぜこのように私のもとから離れようとするのか」と言う心でした。
この心を追求しますと、これは、地球上の全人類、人間だけではなくて、
動物も植物も共通してみなが持っている心なのです。
それは、「自分にとって都合の悪いものはみな嫌い、
自分にとって都合のよいものはみな好き」という心です。
子供のためを思い、なんとか子供に幸せになってほしい、
間違いなく育ってほしいという強い思いを持って、
親の愛情ゆえに一生懸命に言うのですが、
しかし、言われる子供のほうにしますと、
都合が悪いのです。
「盗人にも三分の理」と言いまして、盗人でも、
こちらが厳しく怒りましたら、文句を言います。
子供も同じことでして、あまり親がやかましく、
子供のためを思って叱ったり文句を言ったりして
言い聞かせましたら、子供にとっては、
都合が悪いのです。