~ 恩師の「講演集」より ~
講演集、 一
「無我の境地、神の使途」
このようにお話させていただいて、
あちこちに寄せていただくのですが、
もう一睡もせず走り回っている時があります。
それでも何ら疲れないですね。
普通の常識で考えましたら、
とてもたまらないだろうなと思われるでしょうが、
しかし疲れも知らないこのエネルギーは自分が自らを、
自分の思いをすべて捨てて、待っていただいている方に、
たとえ一人でも二人でも安らいでいただけたら、
喜んでいただけたらというその思いが、
私のエネルギーになります。
「しんどいなあ」とか「もうあかん」という状態になることは
ありません。
仏教でよく「無我の境地」と言います。
お坊さんが坐禅をされて無我の境地に到達されたとか、
私は悟ったとか言います。それも一つの無我ですけど、
「自らの自我をなくした日々の生活」これが無我で、
私には私の自我は何もありません。
他の方から私の自我について質問を受けた時、
私は次のように答えます。
「私のすべては神のもの、私のすべては人々のもの、
私の時間は神のもの、そして私の時間は人々のもの、
このように祈らせてもらい、このように実践させてもらっています」と。
自分という我をなくしていまったら、
その生活の実践は神の御心のままに為したことです。