浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

『御垂訓」

2022-05-11 00:57:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「講演集」より ~


              講演集、 一

        「わが師、高橋信次先生」

私は高橋信次先生という、
既に十二年前に亡くなられた方の教えにご縁をいただきました。
この方の教えを受けまして、これは素晴らしい、
実践させてもらったら必ず功徳があると知りました。
そしてその教えを実践し、
体験したことを人々に紹介させてもらっております。
この先生は、心に関する本を「心のシリーズ」として
十五、六冊出版されました。

この先生には身近なお弟子さんがたくさんおられました。
私は直接ご指導を受けたことは
一回もないのですが、ご講演の中で、或いはご著書の中で
「私の身近にあっても私から遠く離れた弟子もある。
私がいまだめぐり合うことができなくても私の最も近くにいる
弟子もある。
それは私の説いた教えを実践してくれる人である」と、
たびたび述べておられます。

先生が亡くなられた時はもう三日程、
気が違ったように泣き叫びました。
しかし泣いても先生は戻っては下さいません。
その中にあって、「遠くにあっても近き弟子、
近くにあっても遠き弟子」という言葉を思い、
私は行いによって先生の最も近い弟子にしてもらおう、
私の生きる限り、
この教えを絶やさないようにしていきたいと思いました。

高橋信次先生の教えを初めに受けに行った時、
私を誘って下さった方が
「長尾さんは人間の生まれ代わりはあると思いますか」
と聞かれるので、「あると聞いてはいるけれど、
見たことはないので、分かりません」と言いますと、

「高橋信次先生は、
人間の生まれ代わりの証明をなさいます」と言われたのです。
それは私も知りたかったことですので、
是非連れて行って下さい、とお願いをして出掛けました。

ではなぜ証明ができるのかと言いますと、
今私達は日本に生まれていて日本語しか知りませんが、
その日本人の一人が過去に生きていた世界の、
例えば中国とかインドとかイスラエル、
イギリスなどの国の言葉で話をすると聞いたのです。
習いもしない言葉で話して通じ合えるというのは
これはただ事ではないと思い、
この先生の教えに触れたのです。


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