浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「垂訓」

2023-10-16 00:04:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

          ◆服毒自殺の遺体に起きた奇蹟◆

先の続き・・・

すると、白い布が目のあたりから濡れてきまして、
見る見るうちにぐしょぐしょになりました。
「涙で濡れてしまいましたから、新しい布と替えてあげてください」
と遺族の方にお願いしました。
もはや鼻や口から汁が出ることはありませんでした。
この体験をさせていただくことにより、
神様はすべてを赦してくださることがわかりました。
そこでよく考えました。
神がもしお怒りになってお赦しにならないのなら、
いくら私のような者が泣き叫んで赦しを乞うても
こういう現象は起きないはずです。

本人が心の間違いを反省してこれを神様にお詫びしたならば、
必ずその苦しみから救われます。
ただ、赦さないのは、自分自身の内なる良心でした。
その過ちに目覚めるまでの長い時間を苦しみの中で過ごすのです。
神様はご自分に最も背いた行為をした者さえも、救われなさい、
自ら目覚めて救われなさいと、慈愛を与えてくださっていたのです。
「自殺者は永遠の地獄へ落ちる」と説く宗教がありますが、
自殺者でも悔い改めたら救われるのです。
もし神仏の心から一メートル離れたら、
私たちは自分自身を一メートルの苦しみとして
自らを裁くようになっているのです。
しかし、それも神の御心という大宇宙大自然の
正しい軌道に戻るための
調整にすぎなかったのです。


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「垂訓」

2023-10-15 00:03:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

          ◆服毒自殺の遺体に起きた奇蹟◆

先の続き・・・

泣きながら赦しを乞い、「どうかこの方の罪過ちをお赦しください。
私たちの罪をお赦しください」とお祈りさせていただき、目を開きますと、
真っ黒になって腐りかけたその方の顔がきれいになっているのです。
白くなり、ピンク色さえさしてきています。
目はむいていましたが、手で瞼に触れるとさっと閉じてくれました。
一瞬にしてお化粧をしたような顔に変わっておられました。

家族の方も親戚の方も驚いておられました。
硬直していた手が柔らかくなっていて、
ぱらっとほどけた指を組ませると今度は離れてしまいます。
縛ってはかわいそうなので、
座布団を二つ折って肘につっかい棒をして合掌してもらいました。
よかった、救われてくれたと感じまして、布をお顔にかけたのです。
有り難うございました。
この方の罪を赦していただきました、という気持ちでした。


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「垂訓」

2023-10-14 00:12:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

          ◆服毒自殺の遺体に起きた奇蹟◆

先の続き・・・

お顔は紫色になり、身体は腫れあがり、
胸をかきむしって断末魔の苦しみのまま目をむいて死んでおられました。
石のごとく硬直していて指一本動きません。
今から二十年も前のことです。
あまり気の毒な姿に胸が痛みまして、家族のご諒解を得てから、
その方に向かって話しさせていただきました。
「どんな事情があったのか私は知りません。
しかし、あなたはとんでもないことをしてくれました。

自らの命を自らが絶つとは神の御心に最も背いた行為です。
神は幸せに生きよ、健やかに生きよとおおせられます。
あなたはその神のご意志に背いてなんということをしましたか。
あなたは間違ったことをしたのです。
その過ちにまず気付きなさい。
あなたは毒を飲むことで死んでしまったのです。
自分の死をはっきりと自覚しなさい。
神様の御心に背いて救われることは誰にもできません。
自然に逆らっても同じことです。
間違いを素直に認めて、神様に心からお詫びを言いなさい。
私も共にお詫びします」


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「垂訓」

2023-10-13 01:22:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

          ◆服毒自殺の遺体に起きた奇蹟◆

まだ結婚前の二十七歳の女性が服毒自殺をされました。
青酸カリなので劇毒です。
人間を死に至らしめる毒には神経を麻痺させて心臓を止める毒と、
細胞を腐らせてゆく腐敗させる毒があるそうです。
麻痺させるほうの毒はサソリなどが持つものです。
蛇は大きな獲物を鵜呑みにして、
消化しやすいように腐敗させるそうです。
この娘さんが飲んだ毒は細胞を腐らせるほうです。
身体の床面に接した部分はすぐに変色してきます。

仰向けなら背中のほうです。
二時間くらいで真っ黒になり、
五、六時間もすると全身が腫れあがって、
鼻や口など穴という穴から汁が出て来ます。
もう見られた姿ではありません。
鼻や口には綿を詰めるのですが、
細胞が腐っていますから、鼻も口も膨れあがり、
穴が広がっていよいよお化けです。
なんとかしてほしいと頼まれて、
そのお宅に赴き、到着した頃には、
すでに池の底の泥といった状態にまで
身体が変色していました。


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「垂訓」

2023-10-12 01:02:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆棺桶を破って飛び出してきた遺体◆

先の続き・・・

以前、こんな珍しい話を聞きました。
若い結婚前の男性が、明日結婚式という前日に
交通事故で亡くなったのです。
即死でした。
即死の場合は、自分が死んだという自覚が持てないのです。
死を自覚できず結婚するという執念がどういう事態を
引き起こしたかと言いますと、
すでに祭壇を組んで納棺をし、そこに安置してあるというのに、
夜中になって、バリバリバリという音とともに
棺桶を破って遺体が飛び出してきました。

みんなが寄ってたかって取り押さえました。
それで、遺体を調べてみると、やはり息はしていません。
しかし、暴れ出したらかなわないので、
ロープでグルグル巻きに縛って、
それから新しい棺桶を買いに行って、
その中にまた遺体を入れました。
これは本当にあったことです。

死んだ者が動くということ自体、科学では考えられないことです。
そういうことは、身内としては人に知られたい話しではありません。
しかし、このような話はちょいちょいあるそうです。
私の知っている限りでも、五、六人の方からその類の話を聞きました。
人間の肉体は科学や医学では解明のできない神秘的な存在です。
現代医学の誤りは、身体がわるければ切ればよいとか、
薬を投薬すればよいと考えてきた点です。
肉体を物質と見なしてきたからです。
絶対に助からないとわかっている脳死の人を生命維持装置をつけて
何カ月も費用をかけて生かします。
実際には死んでいてもとにかく生きさせたらいいということです。
これは現代医学の大きな誤りです。


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「垂訓」

2023-10-11 00:35:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆棺桶を破って飛び出してきた遺体◆

人生でいちばん大切なことは何かと言いますと、どこから生まれてきて、
この世で何をして、死を迎えてどこへ行くかということを知ることです。
これを知らないと迷います。
まず、私たちは両親のご縁により肉体をいただいて、
素晴らしい光の世界からこの地上に魂の修行に来ています。

そして、その修業が終われば、またあの光輝く魂のふるさとに帰ります。
帰ることができないと、成仏できません。
この世を去る時にこの世に思いを残してはなりません。
すべてのものから心を離すことです。
自分の生まれる前に住んでいた魂のふるさとに帰らなくてはなりません。
死というものを越えて、光明燦然と輝くふるさとに帰り着くのです。

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「垂訓」

2023-10-10 00:40:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第二章 必要なのは正しい生命観の確立

             ◆死ぬとは何か◆

先の続き・・・

この世の肉体生活において色の世界は空の世界と重なり合っていて、
私たちの目に見えるのは、このうち物質化している色
(現象)の部分だけなのです。
しかし、生まれて老いて、最後は必ず死ぬという、
時間の経過とともに移ろい消滅していく肉体が
今目の前に現れている次元を超えた次元に、
永遠に「ある」世界―――言葉を換えれば、
形を現わしたり消したり自由自在に創造できる
「おおもと(根本因)」の世界―――がちゃんとあるのです。

もちろん、神は永遠の存在としてそこにおいでになります。
死ぬと魂は肉体を脱してこの実在界に帰っていきます。
これが本当の死なのです。
肉体に未練を持ったり、この世に思いを残すと、
魂は肉体からスムーズに離れなくなり、死にきれません。
迷える霊魂としてさまよってしまうということを意味します。
これをわかりやすいたとえで説明すると、

お風呂の湯船いっぱいにお湯をはったとします。
そこへスポンジボールを漬けたとしましょう。
スポンジボールの中へ水が浸透してゆきます。
お風呂のお湯が実在界であって、スポンジボールが現象界です。
スポンジの中にお湯が浸透しているように、
この世の現象界の中にあの世の実在界が浸透しているのです。
現象界と実在界が重なって一体となっています。

スポンジボールをお湯の中に漬けて、
「これはスポンジだけですか」と尋ねれば、
多くの人は「いや、中に水が入っています」と言います。
「これは水がけですか」と尋ねると、
「いや、スポンジでしょう」と言います。
つまり、不二一体、見えないものと見えるもの、
実在界と現象界が一つとなって現れる世界が、
この世であるといえます。

このスポンジボールからうまく思いを離して、
スポンジの外に出て、
実在界へ帰った人が成仏された方です。
そして、湯垢のようにスポンジボールに付着して
「ここは住み慣れたところだ、
このスポンジが好きだ」と言って、
スポンジから離れない人が迷える霊です。
実在界こそは私たちが帰るべきふるさとです。
そして、私たちは肉体がなくなっても、霊として存続します。
数々の体験を通して、誰よりもよく知っていると自負しています。

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「垂訓」

2023-10-09 00:09:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第二章 必要なのは正しい生命観の確立

          ◆死ぬとは何か◆

先の続き・・・

死が訪れるとたちまちにして肉体は腐ってゆき、
一瞬たりともとどまることなく腐乱しいきます。
野に放っておけば、やがて腐り果てるか、
動物や鳥に食べられて、やがて消えてしまいます。
今在るように見えるのは、
ただ一時的に現れているにすぎません。

この世に形あるものとして生じた限りは、
必ず消えてゆかなければならない宿命のもとにあります。
頂いたお饅頭が、トイレに行くとそのままの形で
出て来るなどということはありません。
この世のいっさいはまったく実体がないことがわかります。
形となって現れた世界、般若心経で説かれている
「色即是空 空即是色」の「色」の世界に当たる
目に見える現象世界(以後、現象界と呼ぶことにします)を
「この世」と呼んでいます。

一方で、「空」と表わされている世界、
「あの世」という世界が、実はちゃんとあるのです。
そして、こちらこそが実体のある世界
(以後、実在界と呼ぶことににします)です。

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「垂訓」

2023-10-07 23:56:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

               ◆死ぬとは何か◆

先の続き・・・

自分がいただいている命がどこから来ているのかが理解でき、
この世から離れる時は諸々の執着より思いを離し、
感謝できてはじめて、帰るべきところに帰ることができます。
「母なる大地に肉体をお返しし、
魂は天の父なる神のみもとに帰る」ということです。
あの世の存在については科学的な
証明がないではないかという方もいらっしゃいます。

しかし、臨死体験の研究やサナトロジー(死の科学)
の開拓者として世界的に有名な「死ぬ瞬間」の著者
エリザベス・キューブラロス(一九二六年生まれのスイスの精神科医)
の努力などにより、近年では一般にもかなり浸透しつつあります。
一杯のお茶を「頂戴します」と言って飲べば、
この世からそのお茶は消えてなくなるように、
現在ある建物でも何百年か何千年も経てば消えてなくなってしまいます。
同様に私たちの肉体も現にここにあるように思っていても、
定められた時間が過ぎた時には、この肉体は消滅してしまいます。


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「垂訓」

2023-10-07 00:15:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

               ◆死ぬとは何か◆

先の続き・・・

そのためにも生命の本質を知らなくてはなりません。
心臓も肺も胃も私たちの意志で動かしているわけではありません。
私たちは生命の祖でありエネルギーの元である神から
分け与えられた命によって
生かされている存在です。
ですから、人は神の分け御霊と呼ばれます。
自分の命がどこから来てどこへ帰るか。
これがわかれば、心穏やかに死を迎えられます。
周囲の人々には迷惑や心配をかけなくてすみます。

「この身体は私のもので、私が生きているのだ」
と思われがちですが、
それはとんでもない見当違いです。
その証拠に、「私は年をとりたくない」と言っても、
また「死ぬのは嫌だ」と言っても、
時間が経てば必ず年をとり、死ななくてはなりません、
これを自分ではどうすることもできません。

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「垂訓」

2023-10-06 00:06:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


   第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆死ぬとは何か◆

成仏なさった方のお顔が惚れ惚れと見とれるような
美しいお顔になるのとは対照的です。
本当は、自覚するとしないとに拘わらず、
世界中の人々が心の底から共通に望んでいらっしゃるのは、
いかに楽に死ねるかということではないでしょうか。
いかにこの世で幸せで健やかに生きることができるかということこそ
人類共通の関心事であるのとまったく同様に、
ごく自然なことであると思います。
いかに幸せに健やかに生きるか、そしていかに楽に死ぬか、
この二つは両方揃って互いに相補い合い、
完璧に調和した一生となります。

歴史的な人物によくありますが、
いくらこの世的に栄耀栄華を極めても、
死に様が哀れなら、その一生を羨む気持ちにはなれません。
昨今では生命維持装置等による延命措置が可能となり、
脳死や臓器移植の問題も出て来ました。
とすれば、今度は本人や周りの人々の選択の幅は広がります。
それにともない、生命倫理とか生命科学などの
領域も研究されてきています。

これまでは現代医学は肉体をただ物質として学んできました。
医療現場では、手術の成功を喜び乾杯する一方で、
患者本人は死んでしまっていたというケースまであると聞きます。
しかし、
いかに生命を維持させるかという技術上の問題もさることながら、
患者本人がいかに心安らかに死を迎えるかということこそ、
最重要課題のはずです。

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「垂訓」

2023-10-05 00:39:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

              ◆死ぬとは何か◆

死を心安らかに迎えた方は、死後身体が硬直することはありません。
体も温かく、お顔も化粧をしたように美しくなっていらっしゃいます。
信じられないかもしれませんが、これは実際に見聞した数多くの
事例から言えることであり、
立ち合ったお医者さんも驚かれる事実にほかなりません。
日々の生活の中で常に、
「有難いなあ、私は幸せだなあ、何と幸せ者なんだろう」
という思いに満たされて生活をし、
人生を過ごしますと、死んだ時に硬くなりません。

いくら表面上はよい格好をして、着飾ったり、
人様に対しも偉そうに振る舞ったりしていても、
誤った思いや行いによって心の中に苦しみをためてしまっていますと、
あの世に帰る時に必ずその決算が出て来ます。
心の中に苦しみをためている方の場合は、
あの世に帰る日が近づくにしたがって肉体的にも
精神的にも非常な苦痛が現れてきます。
そして、いよいよ息が切れてまいりますと、肉体は硬直を始めます。
見ている間に冷たくなります。
悲しい雰囲気とともに硬くなり、
石さながらの硬さにまでなってしまうものです。
顔も、見るのも恐ろしい嫌な顔となります。


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「垂訓」

2023-10-03 23:58:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第二章 必要なのは正しい生命観の確立

            ◆絶対を忘れているむなしさ◆

先の続き・・・

なぜでしょうか。
それはもちろん十分に生命を燃焼し尽くさなかったということもあります。
もう十分にやりたいことをやり、使命も果たした。
満足と感謝に満たされ、いつあの世に召されても
不足はないと言いきることができたなら、
抵抗なく死を迎えられそうです。
けれども、もっと大切なことがあります。
死んだらどうなるかかがわからないということが、
人間が死に対してあまりにも不必要な恐怖や苦しみを
持ってしまう原因になっているということです。

人間とは単なる肉体的存在ではなくて、
肉体がなくなっても心は続き、あの世に霊として
生き続けるのだとわかれば、
死への態度も一変してしまうことでしょう。
それがわかると生き方も変わる筈です。
「父母にかりに呼ばれて客に来て、
またたちかえるもとのふるさと」このうたは、
この世は仮の宿ということを教えています。

どんな世界から生まれ、何のためにここに来ているのか、
魂の目的というものがわからない限り、
死に対しても無知であり続けるでしょう。
無知であればあるほど、
それは突然襲って来る恐ろしいものであるかのように受け取られます。
その結果、生きている間は心の安らぎがなく、
どこかで疑問や不安を持ち続け、これを
解消しきれずにいることになります。
これが残念ながら、
現在までのこの地球社会の実態にほかなりません。



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「垂訓」

2023-10-03 00:05:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第二章 必要なのは正しい生命観の確立

            ◆絶対を忘れているむなしさ◆

先の続き・・・

そもそも、
私たちは日頃から死ぬということをあまり深く考えていません。
死を自覚して日々の生活を送っているとは言えません。
いつかは必ず直面しなくてはいけない死であるのに、
まるで他人事みたいに思って生きていることが多いのです。
そして、ある日突然のように、
それまでは他人事と思っていた死が自分の身に訪れた時、
それを安らかな心で迎え入れ、
自らの生涯と出会った人々や周囲の人々に感謝して、
あの世に逝けるという人は稀であると思います。

「会者定離ありとは常に聞きおれど昨日今日とは思わざりけり」
という古言があります。
人生の無常は生きている者同士の突然の別れから、
死に別れまで、いついかなる時でも予告なしに襲ってくるものです。
目先のことばかりにとらわれ、
日々の生活に齷齪としているうちにいたずらに歳月を費やし、
気付いてみたらもうすっかり年を取っていたという人が
ほとんどではないでしょうか。
必ず死ぬとわかっていても、
なかなか死を迎えるだけの心の準備ができないのです。


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「垂訓」

2023-10-02 00:43:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第二章 必要なのは正しい生命観の確立

            ◆絶対を忘れているむなしさ◆

先の続き・・・

十歳の時に、とてもよい方であった叔父が亡くなって、
その死に顔があまりにも醜い恐ろしい顔になっていたので、
たいへんショックを受けました。
死は苦しく、遺体は汚れたもの。
これが今までの人類の歴史を通じて当たり前とされてきたことです。
けれども、この常識を完全に超越しない限りは、
新しい生き方と理想的な社会は見えてきません。
死への恐怖とエゴイズムはつながっています。

これを解決しないと、
個人にも人類にも本当の救いと幸せはありません。
母が九十四歳で亡くなった時、
その死に顔は想像もつかない美しさと言いましょうか、
まるで二十代の女性のようでした。
シワやシミは全部なくなり、若い頃と同じ肌に戻っておりました。
それどころか、まるで赤ちゃんのような肌になっておりました。
人がどういう死に方をするかは、
生きている間の日々の心の状態によるものであって、
人それぞれに違います。


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