浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

五十路過ぎ振り返り見ば
我が人生罪と恥との
積み重ねなり

「垂訓」

2024-05-16 23:53:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

         自分を赦すことの難しさ

先の続き・・・

むっくり起き上がって、
再び座って反省にとりかかりました。
そして、己と向き合いました。
何時間かが過ぎていきましたが、
どうすることもできません。
後になってわかったことですが、
私たちはこの世に生まれた後に、
環境、教育、思想、習慣、
時代の条件の中で、それぞれの人格をつくり、
人生をつくっていきます。

「人に寛大、己に厳しく」これも
私の受けた教育でした。
その結果、自分の思想をつくっていたのです。
その自分のつくった思想によって、
自分自身をがんじがらめに縛りつけておりました。
「人に寛大、己に厳しく」は人間の理想であり、
道徳的観念であって、
法とは別のものだと思いました。
法においては、ある意味において、
己にも寛大でなければなりません。
でなければ、悟ることもできません。


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「垂訓」

2024-05-16 00:04:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第五章 心の曇りをとるための反省

         自分を赦すことの難しさ

先の続き・・・

どうにもならない心の壁に突き当たってしまいました。
どうしても破れない心の壁でした。
とうとう最後にあきらめざるをえなくなりました。
私のような者が心に法灯をいただくとか悟りを得るとかいう、
大それたことができるはずがない。

それは偉大なる魂をお持ちの尊い方にして
初めてできることであって、
私のような凡夫のできることではないのだと気づき、
もうこれ以上はやめようと決心しました。
あきらめて山の木々の間に仰向けになって寝転んでいました。
長い時間が過ぎていきました。

この時、梢の間から差し込んでくる光を見たのです。
もし、光、法灯、悟りというものがあれば、
やはり私も欲しいという思いが、
心の中から持ち上がってきました。

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「垂訓」

2024-05-15 00:07:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

           自分を赦すことの難しさ

先の続き・・・

この思いにより、どうしても自分を
赦すことができませんでした。
自分を赦すことは、
自分に寛大にならなければできません。

しかし、そうすることで、
かえって自分を甘やかすことに
なると思っていました。
これでは教えにそむくことに
なってしまいます。

このような思想を持っていましたから、
どうしても自分を赦せなかったのです。
赦せない結果、
自分に対して責め裁くこと以外、
できません。

どう考えても、どう思っても
赦せないのです。
何回、何十回と反省しても、
堂々巡りの繰返しです。
これから先へ進むことが
できませんでした。


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「垂訓」

2024-05-14 00:01:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

           自分を赦すことの難しさ

先の続き・・・

その後、道を説く書物の中にも、
道を説く方々の教えの中にも、よく出て来る言葉です。
ですから、
このことは自分の人生の一つの目的でもあり、
指針でもありました。

常に己に厳しく生きてきたつもりです。
それだけに、私の人生も厳しいものでした。
また、人にできるだけ寛大に生きる努力をしてきました。
それがある意味では、
人に甘え心を与えていたかもしれません。
とにかく、己に厳しく生き、
己れを甘やかせてはならないという思いが、
私の信条でもありました。


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「垂訓」

2024-05-12 23:53:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

           自分を赦すことの難しさ

先程の私の幼少時の反省の話しに戻りますが、
わるいのは親に嘘をついて怪我をしたことばかりでなく、
その嘘のために友達の家で勉強してくると
名前を利用された友達のほうも、
もしこの事実を知れば迷惑したであろうと思います。
自己を追及した時、本当に数々の罪、過ちを
犯してきたことが浮かび上がってきます。

嘘、盗み、人の悪口、非難、中傷、恨み、
憎しみ、数えてみればきりがありません。
幼い頃につくった数々の過ちが私の人生を
大きく支配していたことがよくわかってきました。
幼い頃から常に「自分に厳しく、
他に寛大に生きなさい」と、
父母から教えられてきました。
また、学校の先生からも教えられました。
これが正しいことであると信じてきました。



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「垂訓」

2024-05-12 00:08:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

        父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

たとえ親が「烏は白い」というふうに、
黒いものを指して白いと言われたとしても、
「ああ、白いですねえ」と、子は受けるべきなのです。
無茶苦茶を言っている親を子が受け容れた時、
親は必ず反省してくださいます。

親に背くから親子の喧嘩が起きるのです。
両親は神様だと思わさせていただいたら、
間違いないと思います。
「ああ、そうですか」と、受け容れた時、
親は改めてくれますから、
親の値打ちを上げるのも下げるのも子供の言葉、
想念、行為、生き方の中にあります。
親に喜んでいただくように生きた時、
「親バカ」という昔からある言葉のように
もう自分のことのように親は喜んでくれます。



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「垂訓」

2024-05-11 00:55:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

        父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

私が反省させていただき、幼い頃のことを思い出しますと、
やはり三歳以前の私にとっては、お父さんは男の神様、
お母さんは女の神様でした。
これはみなさんもそうです。

反省して三歳頃までさかのぼりますと、
幼い心でそのことを知っているのがよくわかります。
だんだん成長していくにつれ、自我が働き、
親の言うことを聞かくなります。
ところが、親に背いて幸せになった人には、
あまりお目にかかれません。
ある時期は幸せのように見えても、
心や環境に苦しみを味わっておられるのは、
神様に背いてきたからです。


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「垂訓」

2024-05-10 01:24:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

        父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

親の自愛は、自分を捨ててでも子を守ろうとし、
自分は食べなくても子に食べさせようとし、
自己を犠牲にして子を育てようとしてくださいます。
これこそが「神の御心」です。

「あなたの父と母は私があなたに与えた
あなたの父と母である。
ゆえに、あなたの父と母を敬い、尊び、
その言葉にしたがう者は、
私を敬い、尊び、私の言葉にしたがうものである」と、
神様はおっしゃっているそうです。
親に逆らうことは神に逆らうことになりますから、
それでは当然ながらうまく行きません。
常に両親は神様であると思わせていただくのがいいのです。


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「垂訓」

2024-05-09 00:00:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


     第五章 心の曇りをとるための反省

     父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

不浄を厭う色もなく、洗うも日に日に幾度かや。
己は寒さに凍えても、着たるを脱ぎて子を包み、
甘きは吐きて子に与え、苦きは自ら食らうなり。
幼な子乳を含むこと、百八十石を越すとかや。
まことに父母の恵みこそ、天の極まり無きが如し。

父母は吾が子のためならば、悪行作り、罪重ね、
よしや地獄に落ちるとも、少しの悔いも無きぞかし。
もし、子遠くに行くあらば、帰りてその面見るまでは、
入りても出ても子を想い、寝ても醒めても子を想う。
髪くしけずり、顔ぬぐい、衣を求め帯を買う。

美しきは皆子に与え、父母は古きを選ぶなり。
己れ生あるそのうちは、子の身に変わらんこと思い、
己れ死に行くそのあとは、子の身を守らんこと思う。
寄る年波の重なりて、いつしか頭の霜白く、
衰えませる父・母を、仰げば落つる涙かな。
ああ、有り難き父の恩。子はいかにして報ゆべき。
ああ、有り難き母の恩。子はいかにして報ずべし。



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「垂訓」

2024-05-08 00:13:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


     第五章 心の曇りをとるための反省

     父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

次に揚げる「父母恩重経」には、
親の無条件の愛がどういうものかが説かれております。

吾が腹から心せよ。
山より高き父の恩。海より深き母の恩。
知るこそ道の始めなり。
子を守る母のまめやかに、吾がふところを寝床とし、
かよわき腕を枕とし、骨身をけずる哀れさよ。

美しかりし若妻も、幼な子一人育つれば、
花の芳せいつしかに、衰えゆくこそ悲しけれ。
身を切る如き冬の夜も、骨さす霜の暁も、
乾ける処に子を廻し、濡れたる処に己れ臥す。
幼き者の頑ぜなく、懐汚し背を濡らす。



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「垂訓」

2024-05-07 00:00:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

          父母の恩を知り孝養を尽くすき

先の続き・・・

こちらが耳にタコができるほど聞かされても
嫌な顔はいっさいしないで、
何回でも気持ちよく聞くものですから、
きっと心が休まるのでしょう。
何回同じことを聞いても損をするわけでもありませんから、
逆らわないようにさせてもらっていますと、
親はすごく喜んでくれました。

朝までしゃべってくれて、
私は寝ながら「さようか」「さようか」
と聞かせてもらったことがありました。
「そうですか」と父の相手をするべき母も、
「ようあれだけ話しがあったものだ」
とあきれていました。

親に対してはそのように尽くすべきだと思います。
私たちは、お父さんお母さんのご縁をいただかなかったら、
この世の存在は許されませんが、
両親は生まれた時からずっとそばにいてくださり、
あまりにも親しすぎて、
親のありがたさが認識できないのです。


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「垂訓」

2024-05-06 00:25:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

          父母の恩を知り孝養を尽くすき

先の続き・・・

なぜかと言いますと、この世の中で誰よりも
父母は常に子の幸せを思ってくださり、
その後ろには神がおいでになるからです。
私の父はよく
「八人の子の中でお前の所に来た時が
いちばん心が安らぐ」と
言ってくれたものです。

父が何度も同じことを私に話しても、
今はじめて聞かせてもらったかのような顔をして
そのまま受け容れていたので、
父としては居心地がよかったのではないかと思います。
しかし、実際に常に新しい気持ちで聞いたのです。


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「垂訓」

2024-05-05 00:02:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

          父母の恩を知り孝養を尽くすき

人生航路はなかなか厳しいもので、
晴れた穏やかな日もあれば嵐の日もあり、
それにともない凪いだ海もあれば、
荒れ狂う海もあります。

私たちはそうした海を航海していかなくては
ならないわけですが、その際に
必要な人生の進むべき方向を示す指針を
与えてくれるのが航海で言えば
羅針盤にたとえられると思います。

何をするにつけても、親が喜んでくれ、
その親の喜びの大きいほうを取っていきますと、
人生は間違いなく進むことができます。
長い人生では右か左かと迷い悩む局面も多々あります。
その時に親の喜ぶ道を選ぶという
羅針盤を持っていない方は、人に頼ります。

つまり、拝み屋さんに頼ったり、
自分の崇拝者に依存してしまったり、
あらゆる宗教の門を叩くうちに変な
教団にひっかかってしまったりします。
何もそんなものに頼らなくても、
両親の喜ぶほうへ進めば、間違いはないし
不幸になることもありません。


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「垂訓」

2024-05-04 01:37:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

     反省してはじめてわからせていただいた母親の愛

先の続き・・・

そして、
その無私の愛は神様の愛に通ずることを知りました。
父母への感謝ができなかったならば、
どうして神様への感謝ができましょうか。
しかし、この尊さを知るには、
私たちにとって親の存在はあまりにも近すぎて、
改めて意識することはありません。

これは空気や太陽や水によって生かされながら、
その有難みをつい忘れ、当然のごとくに
毎日を送っているのに匹敵すると思います。
では、どうしたらこの「慣れ」を克服して、
感謝と報恩の心に目覚めさせて
いただけるのでしょうか。
そこで、反省が必要となってきます。
魂の自覚によって、人は神の分け御霊の名に
恥じないように立派に生きていけます。


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ご報告

2024-05-03 16:51:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ ご報告


ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 

当ブログの開設日より現在までのトータル訪問者数、
並びにトータル閲覧回数をご報告申し上げます。

開設日:(2008-11-11)から本日現在(2024-5-2)
までの5,652-195=5,457日間で:
(不可抗力で投稿できなかった日数を195日として計算しています)

トータル訪問者数:583,466名     一日平均:107名
トータル閲覧回数:1,460,475回    一日平均:267回

沢山の皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧
ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で
大変喜んでおられることとご推察致します。
及ばずながら、小生も皆さまのご健康とご多幸を
お祈りさせていただきながら、
日々当ブログの更新・管理をさせて頂いております。
今後とも宜しくお願い致します。
ありがとうございました。

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