生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングの眼シリーズ (37);インドーヤマト文化圏(その8)

2017年07月21日 07時55分01秒 | メタエンジニアの眼
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化のプロセス」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

TITLE: インダス文明の興亡   KMB3354
書籍名;「古代インドの思想」[2014] 
著者;山下博司  発行所;ちくま新書 

発行日;2014.11.10
初回作成年月日;H29.6.10 最終改定日;H29.7.21 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 

 副題を「自然・文化・宗教」として、インダス文明の特徴を自然・文化・宗教の面から述べている。知識の羅列の感があるが、多方面から全体像を理解するには役立つ。

 表紙カバーの裏面には、次の言葉がある。

 『緻密な哲学思想や洗練された文学理論など、高度に発達した「知の体系」は、いかに生まれたか。厳しくも豊かな自然環境がインド人に与えた影響とは。外の世界から多くを受け入れながら矛盾なく深化・発展させることで、独自の文化や思想を生み出し、世界中に波及させてきた。ヒンドウー教、仏教、ジャイナ教・・・。すべてを包み込むモザイク国家「インド」の源流を古代世界に探る。』

 「独自の文化や思想を生み出し」までは、日本を表現しているといってもおかしくないが、「世界中に波及させてきた」は異なる。大陸と島国の違いなのだろう。

主な論点は、以下だった。
・地球規模の寒冷化、乾燥化の中で文明として芽生えた。
・乾燥化がより進んだことで衰亡した。その間千数百年間
・乾燥と湿潤のせめぎ合いの中で多様性文化が発生
・氾濫灌漑農業
・英国による鉄道施設時に遺跡を破壊した
・世界4大文明の中で、最も広範囲に広がっていた
・印象文字は、文字か記号か
・民族移動の玉突き現象
・アーリア人が牛を大切にした
・火は供物を天に運ぶ
・「リグ・ヴエーダ」はBC1000頃完成
   1000の賛歌、1万以上の詩

インダス文明は、地理的には『乾燥アジアの東端にあり、インド・パキスタン国境以東に始まる「モンスーン・アジア」との接点に位置する。気候区分でいえば、砂漠気候と熱帯モンスーン気候の境目あたりである。乾燥と湿潤がせめぎ合う気候風土の微妙な陰影が、広大なインダス文明圏内の文化的多様性を織りなしていたのである。』(pp.68)

「氾濫灌漑農業」という点では、他の古代文明と同じだが、気候区分は独特のものになっている。当時は、四季の変化も比較的はっきりしていたのだろう。
 問題は、彼らが文字文化を持っていたかどうかだった。多くの印章が発見されているのだが、それらが文字か記号かが判然としていない。
 多くの学者が、解読結果を発表してきたが、どれも定説には程遠いと言われている。
 
『2000年代に入り、これらの「文字」が自然言語(日常の意思疎通のために自然に発生し発展してきた言語)を反映したものではないという仮説が、アメリカの研究者たちによって表明され波紋を呼んだ。印章に刻まれた諸文字の出現頻度などを統計学的に分析すると、自然言語とは考えにくい諸特徴を示したという。』(pp.75)

 私は、古代における文字文化が文明の条件であることには納得がいかない。漢字やヒエログリフに見られるように、古代の文字の使用は、権威者の威光を、異なる言語社会にまで広く浸透させることが目的だったと思う。日本の縄文時代や、インダス文明のような絶対王権を持たずに、民主的な文化を保った文明は、「文字」を必要としない。簡単な、記号などで十分だったと思う。

『気候の大規模な変動が文明の衰微や民族の南下・移動を促し、他の民族の更なる移動や勢力の再編を導いたのである。(中略)
中国大陸でも、4000年前に始まる北方民系漢族の黄河中流域から長江流域への南下、およびそれにともなう中国奥地や東南アジアへも波及する民族移動の連鎖も指摘されている。その一部が江南から日本に渡来し、稲作をもたらしたと言われる。マレー・ポリネシア系の言語を話す人々を海洋へと追いやったのも、こうした「民族の玉突き現象」の一環である。陸地での大規模な民族移動が、太平洋上にまで及んでいたことになる。』(pp.102)

『「リグ・ヴェーダ」の言語は、(中略)そこから垣間見られるインド・イラン人の宗教では、家庭祭祀を行い、祖霊を供物で慰撫して福にあずかろうとした。天空の神々を崇拝し、ソーマ(ハオマ)を水盤に盛って神に奉納し、動物を供犠し、穀物や牛乳を祭火に投じた。火は供物を天に運ぶと信じられていたのである。』(pp.105)

 「リグ・ヴエーダ」はBC1000頃に完成し、1000の賛歌と1万以上の詩が不含まれている。それらから推定される国家のあり様は、次のように説明がされている。
『社会全体に君臨する者の存在は確認されておらず、政治的には統合されていなかったとみられる。その後しばらく、統一的な権威なしに推移し、地域ごとに小国家が分立してゆくことになる。』
このことも、卑弥呼の時代のヤマトに共通する。

 欧米の文化や文明論に多く出てくる、「日本は独特で、親類の文化を持たない」との主張に対しては、少なくとも、インダス文明を起源とするインドとは親戚関係があるように思う。