生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(34) 古代のインド―ヤマト文化圏(その5)

2017年07月05日 07時30分53秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(34)     

TITLE: インダス文明の興亡   KMB3356
書籍名;「埋もれた古代都市、インダス文明とガンジス文明」[ 1979] 
著者;森本哲郎 編  発行所;集英社  発行日;1979.3.30

引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 

「このシリーズはメタエンジニアリングで「優れた文化の文明化へのプロセス」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

「古代のインド―ヤマト文化圏(その5)」日本の古代文化は、中国や朝鮮半島から伝わってきたものが多いように思っていましたが、縄文時代や初期の稲作は、東アジアの海洋文化の影響の方が強いようです。中国も、揚子江の南北では文化が全くことなり、北は遊牧民の文化で、南は海洋文化なのでしょう。東アジアの海洋文化の元は、インダス文明のように思われます。そこで、少しインドの古代文化の勉強を始めました。



 この本は「NHK文化シリーズ歴史と文明」全6巻中の第5巻で、かなり古い編集だが、森本氏の文明論や対話の発言が面白い。「まえがき」には、次のように記されている。

『川のごとき特性とは、端的にいえば包摂性、すなわち平気で何もかも自分の中に取り込んでゆくという許容性である。インダス文明についてはさておき、この驚くべき包摂性は現代のインドにそのまま生きている。その最もいい例がヒンドウーの神々であろう。ヒンドウーの神々のあいだにはすべてに無差別の原理が貫徹している。ヒンドウーのパンテオンには、ウバニシャド(奥義書)できめられた最も抽象的なプラフマーという神から、象や、獅子や、イノシシや、ヘビという動物の姿をした神々、さらには仏教の始祖、それどころかガンジーといった政治家に至るまでが、そっくり受け入れられているのである。そこには抽象的な原理も、神も、聖者も、人間も、いや動物でさえ無差別に座を占めている。インドには神と人間、人間と他の動物、そのあいだにさえ、はっきりとした区別はないのだ。』

 さらに続けて、『インド亜大陸につぎつぎに流れ込んださまざまな文明を、片っ端からインド化してしまったのだ。無差別の原理によって。』(pp.2)
この許容性と、さまざまな文明を、片っ端からインド化してしまったとは、なんと日本の古代に似ているではないか。そして、その文化は現代も生き続けていることも共通している。

 本文の冒頭の「対話の初めに インダス文明の遺産」には、次のようにある。
 『4000年以上の前にインダス河畔に築かれたモヘンジョ・ダロの遺跡は、多くの古代遺跡の中でも、際立って特異な風景を見せている。風景を構成しているのは、レンガ、レンガ、ただレンガだけである。(中略)いったい、こんな都市文化を持っていたインダス文明とは、いかなる文明だったのか。』(pp25)
 
それに続く文章は、インダス文明の6つの疑問だ。
 第1、インダス文明を構成した先行文化の形跡が全くない
 第2、道路に面したどの家にも、戸口と窓が全くない
 第3、神殿や王墓が見当たらない
 第4、武器や軍隊の跡がない
 第5、印象に彫られた文字か記号かも分からない
 第6、1000年だけ栄えて、突然消滅し、行方が分からない

『私は、恐らく海上路のほうが中心であって、陸路というのはあったとしても非常にわずかではないかとおう気がするんですが。(中略)それに品物を積む量が違う。ロバやラクダの背に乗せて、あんな暑い砂漠をとぼとぼ行くよりは船のほうがずっと大量のものをはこべるわけですから。』(pp.74)

『アーリア人が残した「リグ・ヴェーダ」のなかに「プランダラの歌」というのがあって、インドラ(アーリア人の軍神)が90の砦をボロボロの着物みたいに破壊したとあるんですが、この90の砦というのが、インダス文明の都市だというわけなんでしょう。』(pp.80)

『考えてみると、高度に発達した都市文明が、なぜ一朝にして滅びたかというのは、まったく逆なんですね。むしろ高度に計画された都市だからこそ、あっさり滅びてしまうわけで、プロミティブなものだったかえって生きのびられたんじゃないですか。』(pp.84)

『いわゆる古代派時代(紀元前2~前1世紀)には、おシャカ様を人間の姿で表してはいけないとされていました。ところが、のちのギリシア文化との接触で、おシャカ様の姿が理想像として描かれるようになる。それが1~2世紀ごろのガンダーラ時代か、あるいはマトウーラ時代ですから、その間におシャカ様はすっかり神聖化されて、人間性が消えてしまったわけですね。』(pp.105)

『仏教はヒンドウー教の中に含まれているというんですね。インド人の気持ちの中には、仏教とヒンドウー教を区別するという意識は無いんでしょうね。』(pp.154)

古代の日本神道がヒンドウー教の神々とその大もとが共通しているとすれば、日本人が仏教と神道を意識的には区別しないことと、共通の意識のように思われてくる。読み飛ばしてしまえばそれまでなのだが、蘊蓄のある言葉が並べられている。