その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(39)
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE: ヒトと文明 KMB3357
書籍名;「ヒトと文明」[2016]
著者;尾本恵市 発行所;ちくま新書 発行日;2016.12.10
初回作成年月日;H29.7.18 最終改定日;H29.7.22
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
人類学、とくに人類遺伝学の立場から、狩猟採集民と現代を比較する。「はじめに」では、自然人類学と文化人類学が独立の立場になっており、ほとんど会話がないことを述べている。そのことを音楽に例えて、専門研究は特定の楽器の演奏技術、学際研究は三重奏や四重奏であり、オーケストラにはならないと指摘している。
前半では、人類学に関する多くの歴史や逸話が述べられている。例えば、最大の特徴である言語の能力ついては、『ジュウシマツとかカナリアなどの歌には文法があり、チンパンジーの言語よりもずっと複雑だという。』や、『系統が近縁ならすべての特徴が似ているとはいえない。これは多くの研究者の陥る落とし穴の一つである。系統的にはヒトとはあまり近縁でないテナガザルの仲間が非常に発達した音声コミュニケーションをもつ。』(pp.55)といった具合である。結論は、「文明は人類の進化ではない」との断言。
・価値判断とヒトの文化
『価値判断は、ヒトの文化の重要な基盤である。さまざまな民族集団を特徴づける文化多様性の多くは、自然条件ではなく価値判断によって歴史的に出現したものである。人類は文化を持ち、それによって進化した動物であると言われる、(中略)私は便宜上ヒトの文化を「遺伝によらず、学習によって伝えられる生活様式(伝統)およびその産物」であると理解している。価値判断こそがヒトの文化の重要な基礎ではなかろうか。』(pp.59)
DNA研究の進展によって、人類学は急速な進化を遂げつつある。例えば、弥生人は中国の春秋戦国時代からの渡来人と考えられているが、それが侵入ではなく難民に近いということが、ミトコンドリアなどから男系だけでなく女系の遺伝子が多いことから推測されている。(pp.90)確かに、アレキサンダーの例に見るように、民族の侵入ならば、男系の遺伝子が多く残されるはずである。
また、遺伝子の大規模な統計的な研究から、アフリカからの人類の民族移動は、陸路よりは海路のほうが盛んであったようにも思わせる記述が多い。例えば、ユーラシアからアメリカ大陸への移動は、ベーリング海峡が陸続きになった氷河期よりもはるか古いとか、南アメリカの南端までに、たった1000年で到達するのは、海路によると考えざるを得ない、といったことがある。(pp.99)
・ヒトにとって文明とは何か
ここでは、文化と文明の根本的な違いを説明している。
『生物科学としての人類学では、文化と文明を明確に区別し、いずれもヒトの特徴と歴史に深く関係する重要な概念と考える。』(pp.119)
『意外に思われるかも知れないが、文化とは違い文明はヒトの普遍的特徴とは言えない。なぜなら、現代でもごく少数ではあるが農耕・牧畜にもとづく文明を採用しなかった「資料採集民」(ハンター・ギャザラー)が世界中に存在しているからである。もしチャイルド流の文明をヒトの普遍性と考えるなら、これらの人々はヒトではないことになる。』(pp.123)
ちなみに、チャイルド流の文明とは、農耕と都市化の文化を指す。即ち、文明人とは「都市化した農耕人」と云うことになる。私は、この説には反対である。農耕と都市化は、全体最適から、部分最適への逸脱であって、真の持続的文明とは云えないと考える。その逸脱の影響は、短期間(1千年以下)では正の価値が勝るが、それ以上の長期になると、負の価値が勝ってくる。その始まりが21世紀だと思う。人類の文明は、人類学的にも社会学的にも全体最適でなければならない。そうでなければ、人類は早期に絶滅の危機に襲われるであろう。
「都市の条件」としては、G. Childe(1950)による10の項目が挙げられている。(pp.130) また、「農耕の開始があった6地域」の条件としては、P. Bellwood(2013)による6つの条件が挙げられている。(pp.131)
それに対して、著者は「狩猟採集民の特徴」として次の10項目を挙げている。(pp.145)
① 子供の出生間隔が比較的長い
② 広い地域に展開して居住する
③ 土地所有の概念がない
④ 主食がない
⑤ 食物の保存は一般的でない
⑥ 食物の公平な分配
⑦ 男女の役割分担
⑧ リーダーはいるが、原則として身分・階級制・貧富の差はない
⑨ 正確な自然知識と畏敬の念に基づく「アニミズム」
⑩ 散発的暴力行為・殺人はあるが、「戦争」はない
これらのどこが、非文明的なのであろうか。むしろ、人類の永続的な文明の必須要素の
ように思われるのだが、いかがであろうか。
・文明は「もろ刃の剣」
『文明以前、「動物と人間は同じ世界に暮らし、単に肉体あるいは精神だけでなく、存在全てにおいてたがいにかかわりあっていた。人間と動物とは対等であって、支配と服従の役割にあったのではない。後者のような事態は、あらゆる種類の動物を人びとが家畜化し始めたときに起こったことだ。」(ブライアン・フェイガン)
ここでも旧約聖書の「創世記」が思い起こされる。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、地の上を這う生き物すべて支配せよ」。この言明こそ、中近東発の一神教文明の本質的な原理をよく表している。ヒトによる支配は野生動物だけでなくヒト自身にも及んだ。』(pp.174)
これは、古代から続く奴隷制や身分制度、植民地主義などを指している。そして、それらは現在も続いている。つまり、現代文明は「反自然の文明」と云える。
以下、「不都合な真実」、「沈黙の春」、「成長の限界」、「八つの大罪」の具体例を説明している。
『コンラート・ローレンツ(1903~1989)は、オーストリアの動物学者で「刷り込み」理論などでノーベル賞を受賞した。著書「文明化した人間の八つの大罪」で、彼は文明化でヒトが生物としていかに矛盾した存在になっているかを、キリスト教でいう「七つの大罪」になぞらえて述べた。彼の言う「八つの大罪」とは、人口過剰、生活空間の荒廃、人間同士の競争、感性の衰減、遺伝的な頽廃、伝統の破壊、教化されやすさ、核兵器である。なお、参考までに延べれば、カトリック教会が定めた七つの大罪とは、傲慢、憤怒、嫉妬、怠情、強欲、大食、色欲である。』(pp.181)
その後、先住民族と植民地主義についての持論を述べたうえで、「おわりに」には次のようにある。
『本書で私は、文明を宇宙という「自然」の実験と考えた。数十億年の地球の歴史の中で、文明はまさに「刹那」(仏教でいう時間の最小単位)というべき一万年の間に起きた新しい現象である。ヒトは、遺伝子進化の結果極めて高い文化依存性をもつ存在となったが、文化が創り出した文明は、遺伝子変化を伴わず進化したとはいえない文化の変化である。遺伝学の比喩をもちいれば、進化は「遺伝子型」、文明は「表現型」の変化に相当する。進化は、主として負のフィードバックによる自己制御を受けながら、ゆっくりと遺伝子を変化させた。しかし、文化の変化である文明の場合は、正のフィードバックが働いて、人口増大と階級や戦争という自然とは矛盾する特徴が顕著になった。』(pp.280)
結局、著者は現代文明の出発点を旧約聖書の創世記に求めて、それ以前の動物との調和の中で生きてきた人類が、「自然とは矛盾する特徴が顕著」になってしまったのが、現代の問題であるとしている。回答は文明が進化するには、「負のフィードバックによる自己制御を受けながら、ゆっくりと遺伝子を変化させる」が、必要条件となる。
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE: ヒトと文明 KMB3357
書籍名;「ヒトと文明」[2016]
著者;尾本恵市 発行所;ちくま新書 発行日;2016.12.10
初回作成年月日;H29.7.18 最終改定日;H29.7.22
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
人類学、とくに人類遺伝学の立場から、狩猟採集民と現代を比較する。「はじめに」では、自然人類学と文化人類学が独立の立場になっており、ほとんど会話がないことを述べている。そのことを音楽に例えて、専門研究は特定の楽器の演奏技術、学際研究は三重奏や四重奏であり、オーケストラにはならないと指摘している。
前半では、人類学に関する多くの歴史や逸話が述べられている。例えば、最大の特徴である言語の能力ついては、『ジュウシマツとかカナリアなどの歌には文法があり、チンパンジーの言語よりもずっと複雑だという。』や、『系統が近縁ならすべての特徴が似ているとはいえない。これは多くの研究者の陥る落とし穴の一つである。系統的にはヒトとはあまり近縁でないテナガザルの仲間が非常に発達した音声コミュニケーションをもつ。』(pp.55)といった具合である。結論は、「文明は人類の進化ではない」との断言。
・価値判断とヒトの文化
『価値判断は、ヒトの文化の重要な基盤である。さまざまな民族集団を特徴づける文化多様性の多くは、自然条件ではなく価値判断によって歴史的に出現したものである。人類は文化を持ち、それによって進化した動物であると言われる、(中略)私は便宜上ヒトの文化を「遺伝によらず、学習によって伝えられる生活様式(伝統)およびその産物」であると理解している。価値判断こそがヒトの文化の重要な基礎ではなかろうか。』(pp.59)
DNA研究の進展によって、人類学は急速な進化を遂げつつある。例えば、弥生人は中国の春秋戦国時代からの渡来人と考えられているが、それが侵入ではなく難民に近いということが、ミトコンドリアなどから男系だけでなく女系の遺伝子が多いことから推測されている。(pp.90)確かに、アレキサンダーの例に見るように、民族の侵入ならば、男系の遺伝子が多く残されるはずである。
また、遺伝子の大規模な統計的な研究から、アフリカからの人類の民族移動は、陸路よりは海路のほうが盛んであったようにも思わせる記述が多い。例えば、ユーラシアからアメリカ大陸への移動は、ベーリング海峡が陸続きになった氷河期よりもはるか古いとか、南アメリカの南端までに、たった1000年で到達するのは、海路によると考えざるを得ない、といったことがある。(pp.99)
・ヒトにとって文明とは何か
ここでは、文化と文明の根本的な違いを説明している。
『生物科学としての人類学では、文化と文明を明確に区別し、いずれもヒトの特徴と歴史に深く関係する重要な概念と考える。』(pp.119)
『意外に思われるかも知れないが、文化とは違い文明はヒトの普遍的特徴とは言えない。なぜなら、現代でもごく少数ではあるが農耕・牧畜にもとづく文明を採用しなかった「資料採集民」(ハンター・ギャザラー)が世界中に存在しているからである。もしチャイルド流の文明をヒトの普遍性と考えるなら、これらの人々はヒトではないことになる。』(pp.123)
ちなみに、チャイルド流の文明とは、農耕と都市化の文化を指す。即ち、文明人とは「都市化した農耕人」と云うことになる。私は、この説には反対である。農耕と都市化は、全体最適から、部分最適への逸脱であって、真の持続的文明とは云えないと考える。その逸脱の影響は、短期間(1千年以下)では正の価値が勝るが、それ以上の長期になると、負の価値が勝ってくる。その始まりが21世紀だと思う。人類の文明は、人類学的にも社会学的にも全体最適でなければならない。そうでなければ、人類は早期に絶滅の危機に襲われるであろう。
「都市の条件」としては、G. Childe(1950)による10の項目が挙げられている。(pp.130) また、「農耕の開始があった6地域」の条件としては、P. Bellwood(2013)による6つの条件が挙げられている。(pp.131)
それに対して、著者は「狩猟採集民の特徴」として次の10項目を挙げている。(pp.145)
① 子供の出生間隔が比較的長い
② 広い地域に展開して居住する
③ 土地所有の概念がない
④ 主食がない
⑤ 食物の保存は一般的でない
⑥ 食物の公平な分配
⑦ 男女の役割分担
⑧ リーダーはいるが、原則として身分・階級制・貧富の差はない
⑨ 正確な自然知識と畏敬の念に基づく「アニミズム」
⑩ 散発的暴力行為・殺人はあるが、「戦争」はない
これらのどこが、非文明的なのであろうか。むしろ、人類の永続的な文明の必須要素の
ように思われるのだが、いかがであろうか。
・文明は「もろ刃の剣」
『文明以前、「動物と人間は同じ世界に暮らし、単に肉体あるいは精神だけでなく、存在全てにおいてたがいにかかわりあっていた。人間と動物とは対等であって、支配と服従の役割にあったのではない。後者のような事態は、あらゆる種類の動物を人びとが家畜化し始めたときに起こったことだ。」(ブライアン・フェイガン)
ここでも旧約聖書の「創世記」が思い起こされる。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、地の上を這う生き物すべて支配せよ」。この言明こそ、中近東発の一神教文明の本質的な原理をよく表している。ヒトによる支配は野生動物だけでなくヒト自身にも及んだ。』(pp.174)
これは、古代から続く奴隷制や身分制度、植民地主義などを指している。そして、それらは現在も続いている。つまり、現代文明は「反自然の文明」と云える。
以下、「不都合な真実」、「沈黙の春」、「成長の限界」、「八つの大罪」の具体例を説明している。
『コンラート・ローレンツ(1903~1989)は、オーストリアの動物学者で「刷り込み」理論などでノーベル賞を受賞した。著書「文明化した人間の八つの大罪」で、彼は文明化でヒトが生物としていかに矛盾した存在になっているかを、キリスト教でいう「七つの大罪」になぞらえて述べた。彼の言う「八つの大罪」とは、人口過剰、生活空間の荒廃、人間同士の競争、感性の衰減、遺伝的な頽廃、伝統の破壊、教化されやすさ、核兵器である。なお、参考までに延べれば、カトリック教会が定めた七つの大罪とは、傲慢、憤怒、嫉妬、怠情、強欲、大食、色欲である。』(pp.181)
その後、先住民族と植民地主義についての持論を述べたうえで、「おわりに」には次のようにある。
『本書で私は、文明を宇宙という「自然」の実験と考えた。数十億年の地球の歴史の中で、文明はまさに「刹那」(仏教でいう時間の最小単位)というべき一万年の間に起きた新しい現象である。ヒトは、遺伝子進化の結果極めて高い文化依存性をもつ存在となったが、文化が創り出した文明は、遺伝子変化を伴わず進化したとはいえない文化の変化である。遺伝学の比喩をもちいれば、進化は「遺伝子型」、文明は「表現型」の変化に相当する。進化は、主として負のフィードバックによる自己制御を受けながら、ゆっくりと遺伝子を変化させた。しかし、文化の変化である文明の場合は、正のフィードバックが働いて、人口増大と階級や戦争という自然とは矛盾する特徴が顕著になった。』(pp.280)
結局、著者は現代文明の出発点を旧約聖書の創世記に求めて、それ以前の動物との調和の中で生きてきた人類が、「自然とは矛盾する特徴が顕著」になってしまったのが、現代の問題であるとしている。回答は文明が進化するには、「負のフィードバックによる自己制御を受けながら、ゆっくりと遺伝子を変化させる」が、必要条件となる。