生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(36) 古代のインド―ヤマト文化圏(その7)

2017年07月10日 14時16分01秒 | メタエンジニアの眼
「古代のインド―ヤマト文化圏(その7)」KMM3355 
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

TITLE:インドの聖と俗  KMB3355

書籍名;「ヒンドウー教」[2003] 
著者;森本達雄  発行所;中央公論社 中公新書
発行年月日;2003.7.25



 副題を「インドの聖と俗」として、この両面を強調している。そして、この傾向は日本とまったく同じことが多いことを、
実例で示している。

・ヒンドウー教と日本の神々

 『私たち日本人は、遠く父祖の代から、知らず知らずのうちに、日常の信仰や思想、思考方法などにヒンドウー教から少なからぬ影響を受けてきているのである。すなわち、古来日本の精神文化の核であり、支えであった仏教、とりわけ密教へのヒンドウー教(バラモン教)の影響をとおして、いつしか私たちの祖先はヒンドウー教の神々や教えを受容し、したしんできたのである。たとえば、今日ではすっかり日本の民間信仰の神様のように思われている弁財天信仰などは、その好例の一つであろう。』(pp.5)

 ここでは、「弁天様とサラスヴァティー」、「大黒様とシヴァ神」について写真を交えて同一性を説明している。

・日本の生活習慣にとけこんだヒンドウー教

 『私たちの生活習慣の中には、ずいぶんとヒンドウー教の儀礼や慣習が入り込んでいるようである。思いつくままに二、三、例をあげると、仏教(真言密教)の重要な儀礼として、加持祈祷のさいに焚かれる「護摩」がある。あれはインドでは、いまから三千年以上も前の「ヴェーダ時代」と呼ばれている最初期の儀礼で、サンスクリットの「火中に献げる」「献げものをする」といった意味の「ホーマ」が漢訳されて「護摩」となったものである。』
(pp.10)

・日本文化の底流に息づくヒンドウー思想

『我が国の古代からの中世、近世の文字・絵画・建築や造園、能や歌舞伎から、日常の生活様式に至るまで、その底流にさまざまな形で無常観、輪廻や業(ごう)の思想、あるいは浄土への憧れ(欣求浄土)など、仏教的世界・人生観が深く流れていることは、誰もが認めるところである。勿論その源流はといえば、仏教オリジナルなものもあれば、ヒンドウー教の影響によるものもあろう。そこで、明らかにヒンドウー教に起源をもつ輪廻転生について、少し考えてみたい。』(pp.14)

 このことは、輪廻転生を信じていようが信じまいが、それには関係なく、日本人は平家物語や、方丈記、徒然草などの古典や、能のストーリーの作者の意図を理解することができるので、輪廻転生が文化として浸透しているとしている。

・ヒンドウー教の特徴

『ヒンドウー教の定義はむずかしくなる。なぜならヒンドウー教には、まず第一に、キリストやマホメットに相当する特定の開祖は存在しない。それゆえ、成立の年代もいつごろか漠として特定できない。ヒンドウー教は ーある高名な宗教学者の言葉を借りればー 「この宗教には初めも終わりもなく、われわれの地球が存在する以前から、未来永劫、消滅を繰り返すどの世界思貫いておもつらぬいて存在する」ものとして、時間を超越し、歴史を拒否するといった側面すら見受けられるのである。』(pp.24)

 この特徴は、日本における神道とまったく同じである。

・インダス文明へ

ヒンドウー教の起源は、インドでのアーリア人の登場からか、それ以前のドラヴィダ族やムンダ族などの先住民族かも分かっていない。「ヒンドウーイズム」はヒンドウーの土地に住む人々の宗教であって、教義や組織を持たない。「ヒンドウー」の語源は、サンスクリット語の「流れ・川」を意味する「シンドウ」と云われており、この川はインダス川を示しているそうだ。

 インダス文明が、同時代の他の文明と比較して基本的に異なる点を、モヘンジョ・ダーロの発掘者であるイギリス人の考古学者は次のように発言している。

『同時代のエジプトやメソポタミヤでは、「莫大な金と知識が、神々のための壮大な寺院の建物や、王たちの宮殿や墓の造営に浪費され、一般市民はどうやら泥で造った粗末な住居で満足しなければならなかった。」のにたいして、「インダス文明では状況は逆である。そしていちばん立派な建造物は、市民の便宜のために建てられたもの」であった。』(pp.71)
 この傾向は、日本の縄文時代と古墳時代の差を思わせる。やはり、この二つの時代の文化は、根本的に異なっているので、独立した民族による支配と思う。

 また、ネルーの著書「インドの発見」[1946]からの引用として、次の言葉がある。
『ひじょうに驚くべきことは、それ[インダス文明]がなによりもまず、世俗の文明だったということであり、宗教的な要素はあるにはあるが、舞台全体を支配してはいなかった』(pp.72)

以下は、次のような表題での説明が続いている。
・ハラッパー人、先住民たちの信仰
・アーリア人の出現と英雄神インドラ
・アーリア人はどこから来たのか
・「ヴェーダ」の成立とアーリア人の神々
・「ヴェーダ」は口承聖典