メタエンジニアの眼シリーズ(82) TITLE: 書籍名; 「ユニオンジャックの矢」[2017]
著者;寺島実郎
発行所;NHK出版 2017.7.25発行
本の所在;中央図書館
初回作成年月日;H30.9.11 最終改定日;
引用先; 文化の文明化のプロセス
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
副題は、「大英帝国のネットワーク戦略」とあり、著者が英国滞在をとおして実感したことを述べている。訪問回数や滞在期間は私自身の経験と、さほど違いがないようなのだが、組織力を生かして、諸々の由来や背景を克明に記している。しかし、話はロンドンに限ったことで、スコットランドやウエールズや、ミッドランドの田舎については何も語っていない。その点では、片手落ちの感がする。
「はじめに」は、次のように記している。
『英国に関する考察を積み上げてきたわけだが、この本はその営為の凝縮でもある。世界を動き回りながら気付いたことは、英国をグレート・ブリテン島に限定した欧州の島国と捉えてはいけないということである。この国のポテンシャルはネットワーク力にある。とくに、五二か国の英連邦を緩やかに東ねる隠然たる影響力、その中でもロンドンの金融街シティを中核に、ドバィ(アラブ首長国連邦)、ベンガルール(インド)、シンガポール、シドニー (オーストラリア)を結ぶラインを「ユニオンジャックの矢」とイメージし、その相関をエンジニアリングするカに注目すべきである。』(pp.3)
ここで、早速に「エンジニアリング」という言葉が出てくる。著者が長期間在籍した、三井物産時代の影響なのだろう。
そして、次の言葉で結んでいる。私が英国通いを始めたのが、1979年なので、かの国から得る感想には大きな違いはない。
『一九七五年、戦後生まれ日本人の先頭世代の一人である私がロンドンに降り立ったことになる。人は白分の生きた時代を背負って世界を見ることになる。この作品は私が生きてきた時代を通じて構築した英国に関する「全体知」である。英国 という途方もない存在を体系的に理解する参考として、本書が読まれれば幸いである。』(pp.5)
為替レートの話から始まっている。特に、英ポンドとドルの関係が面白い。私は、この為替変動から、大いに利益を得た経験がある。英国では、1ポンドが何ドルであるかが問題になる。かつては5ドルだったが、第2次世界大戦で4ドルになり、更に3ドル以下に値下がりした。我々が英国通いを始めたころは、この水準だった。ところが、1980年代半ばに1ドルぎりぎりまで急降下した。英国中が、絶対に1ドルを割ることがあってはならないと、必死になったことを思い出す。その後は、1ドルと2ドルの間を、周期的に変動している。為替は2倍近く振れるわけだ。
若き彼は「英国病」についての解釈を中央公論(1976)に載せている。この病気はかなり重症だったが、サッチャーの登場で霧散した、と思う。
大英帝国のネットワークは、夏目漱石の話で代用されている。
『激石の乗ったドイツの汽船プロイセン号は、横浜港から出航したあと、神戸、長崎を経て、九月一三日から一六日に上海、 ー七日に福州、一九日から二〇日に香港、二四日にシンガポールに寄港した。さらに、マラッカ海峡に入り、ニ七日にマレー半島西岸にあるペナンに立ち寄り、一〇月一日には今日のスリランカ、セイロン島のコロンボ、さらにはアラビア海を越えて、一〇月八日から九日はイエメンのアデンに滞在。紅海からスエズ運河を通過して一〇月一四日には地中海に入った(図2参照)。
激石が通ったルートを地図の上でじっくりと確認するならば、プロイセン号が停泊した港は、いずれも英国と関わりの深い場所ばかりである。』(pp.42)
本題の「ユニオンジャックの矢」については、
『先述のごとく、英国のGDPの規模は世界第五位であるが、二〇一六年のGDPに関して、ここで言うユニオンジャックの矢に連なる五つの国、英国、UAE、インド、シンガポール、 オーストラリアの名目GDPを足し合わせると六・八兆ドルに達し、これは日本(約五兆ドル)を凌駕して中国に次いで第三位となる。』(pp.58)
このシナジー効果が、うまく発揮されているというわけである。しかも、それぞれが、まだ途上国的な成長過程にある。
ここから、話は突然に「エンジニアリング」に移る。
『一英国において「エンジニアリング」がいかに大事にされているかを示す象徴的人物が、イザムバード・キングダム・ブルネルである。英国の公共放送BBCが二〇〇二年に「英国の歴史の中で最も尊敬できる人物は」という設間の世論調査を行ったことがある。トップは誰もが知るウィンストン・チャーチル。続いて名前が挙がったのがブルネルだった。英国民に絶大な人気を誇り、一九九七年に事故で亡くなったダイアナ妃を三位に押さえての二位である。ブルネルの名を知る日本人はあまり多くはないが、英国人であれば知らない人はいないほどで、こうした調査では必ず上位にランクされる偉人である。一八二五年から始まった、ロンドンのテー ムズ川の下をくぐるテームズトンネル建設に技術者の父とともに関わり、世界で初めてシールド工法(掘削機で前方へ掘り進みつつ、後方ではすぐに壁をつくるトンネル構築の工法)を採用した。また一八三三年に設立されたグレート・ウエスタン鉄道社では、ロンドンと英国西部の港湾都市ブリストルとの間の橋やトンネル、駅舎などの施設、鉄道車両などを設計・施工した。英国人には、こうした巨大プロジェクトに挑み、実現させる総合エンジニアリング力が評価されるのである。』(pp.59)
私は、当初はここに出てくるグレート・ウエスタン鉄道に乗ってブリストル市に数十回通った。従って、ブルネルの功績はあちこちで出会った。中でも、「CLIFTON SUSPENSION BRIDGE」の印象は深かった。(エッチングの土産品の写真)
『「エンジニアリング」というと事業プロジェクトを実現する手法と考えられがちだが、広義には、個別の要素を統合して課題を解決するアプローチと言うべきであろう。事業プロジェクトもその一つだが、蓄積した歴史的体験を生かし、法務、経理・会計、財務における専門性を生かし、 多様な人材を活用して課題解決に立ち向かう「全体知」がエンジニアリングの本質であり、まさに英国らしいソフトパワーを凝縮した力とも言えるのである。
英国では、伝統的に金融とエンジニアリングの組み合わせが付加価値を創出するという共通認識が存在している。その活動を背景で支えているのがイギリス連邦(英連邦の存在である。』(pp.60)
高度なメタエンジニアリング指向があっても、それが実践できる場がなければ成果を産むことはできない。ユニオンジャックの矢は、それを数百年にわたって提供し続けている。
次に、「金融とエンジニアリングの組み合わせ」の例が示されている。
『ベクテル社は、サウジアラビアのあらゆる国家プロジェクト、港湾、鉄道、空港、道路などのインフラから、エネルギー関連、都市開発、農業開発などを総合企画・推進してきた主体であり、「サウジの企画部」とまで言われるほどである。』(pp.62)
さらに続けて、
『マクロ、エンジニアリング学会という団体があり、何回かその国際大会に私も参加してきた が、例えば「第ニパナマ運河」「マレー半島横断運河」「日韓トンネル」など気宇壮大なプロジェクトが研究報告され、驚かされた。複雑な利害を調整し、多様な専門性を注入してプロジェクトを完結させる柔らかい構想力が求められ、日本人が学んでいかねばならない分野と言えよう。』(pp.63)
最後の「おわりに―英国への思い」は、このように結ばれている。
『昨年、二〇一六年の一人当たりGDPにおいて、日本は三・九万ドルであり、もはやアジア
の先頭を走る豊かな国ではない。シンガポールは五・三万ドル、香港は四・四万ドルであり、かつて英国の植民地だったこの二つの国と地域がこれほどまで豊かになっているという事実は重い。GDPとは付加価値の総和であり、さしたる工業生産力もない国が「ものつくり」では なく、サービス、金融、情報、物流で付加価値を生み出し、国民を豊かにしている事実に注目したい。つまり、あらゆる知恵を駆使して負荷価値を剣出しているわけで、その知恵を生み出す触媒が「ネットワーク」である。』(pp.228)
『英国が 苦難の時を迎えるとき、多くの英国人が思い起こすのが「アーサー王の物語」である。大ブリテン島の守り本尊として、神話と想像力の産物であるアーサー王は、英国人のアイデンティティを高める存在なのである。五世紀後半から六世紀にかけて、英国がローマの属州としてのブリタニアだった頃、「サクソン人に抵抗したローマ化されたブリトン人」、もしくは「ブリトン化されたローマ人の将軍」の物語が、人々の夢物語と一体化して民族的英雄詩となっていっ たといわれ、この伝承の中に英国人の心象風景があるといってよかろう。これが中世のキリス ト教的騎士の理念型と二重写しになり、勇気、礼節、忍耐、忠誠という価値を体現するリーダー像となって昇華されていったと思われる。』(pp.236)
日本と英国の古代の歴史は似ているところが多い。大陸から一部の民族が移住し、原住民との間で、辺境の文化を醸成した。ケルト文化とアイヌ文化の比較も面白い。大陸では、巨大王国が繁栄したが、その影響をうまく利用して、文明のレベルを保つことに成功した。大きな違いは、大陸の王国が侵入を繰り返されたか否かであろう。日本は、たった一回の元寇だけだったが、英国は第二次世界大戦まで続いた。王朝も頻繁に交代した。その危機感の繰り返しの違いが、遠交近攻策にも似た、ユニオンジャックの矢を構築したのだろう。
著者;寺島実郎
発行所;NHK出版 2017.7.25発行
本の所在;中央図書館
初回作成年月日;H30.9.11 最終改定日;
引用先; 文化の文明化のプロセス
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
副題は、「大英帝国のネットワーク戦略」とあり、著者が英国滞在をとおして実感したことを述べている。訪問回数や滞在期間は私自身の経験と、さほど違いがないようなのだが、組織力を生かして、諸々の由来や背景を克明に記している。しかし、話はロンドンに限ったことで、スコットランドやウエールズや、ミッドランドの田舎については何も語っていない。その点では、片手落ちの感がする。
「はじめに」は、次のように記している。
『英国に関する考察を積み上げてきたわけだが、この本はその営為の凝縮でもある。世界を動き回りながら気付いたことは、英国をグレート・ブリテン島に限定した欧州の島国と捉えてはいけないということである。この国のポテンシャルはネットワーク力にある。とくに、五二か国の英連邦を緩やかに東ねる隠然たる影響力、その中でもロンドンの金融街シティを中核に、ドバィ(アラブ首長国連邦)、ベンガルール(インド)、シンガポール、シドニー (オーストラリア)を結ぶラインを「ユニオンジャックの矢」とイメージし、その相関をエンジニアリングするカに注目すべきである。』(pp.3)
ここで、早速に「エンジニアリング」という言葉が出てくる。著者が長期間在籍した、三井物産時代の影響なのだろう。
そして、次の言葉で結んでいる。私が英国通いを始めたのが、1979年なので、かの国から得る感想には大きな違いはない。
『一九七五年、戦後生まれ日本人の先頭世代の一人である私がロンドンに降り立ったことになる。人は白分の生きた時代を背負って世界を見ることになる。この作品は私が生きてきた時代を通じて構築した英国に関する「全体知」である。英国 という途方もない存在を体系的に理解する参考として、本書が読まれれば幸いである。』(pp.5)
為替レートの話から始まっている。特に、英ポンドとドルの関係が面白い。私は、この為替変動から、大いに利益を得た経験がある。英国では、1ポンドが何ドルであるかが問題になる。かつては5ドルだったが、第2次世界大戦で4ドルになり、更に3ドル以下に値下がりした。我々が英国通いを始めたころは、この水準だった。ところが、1980年代半ばに1ドルぎりぎりまで急降下した。英国中が、絶対に1ドルを割ることがあってはならないと、必死になったことを思い出す。その後は、1ドルと2ドルの間を、周期的に変動している。為替は2倍近く振れるわけだ。
若き彼は「英国病」についての解釈を中央公論(1976)に載せている。この病気はかなり重症だったが、サッチャーの登場で霧散した、と思う。
大英帝国のネットワークは、夏目漱石の話で代用されている。
『激石の乗ったドイツの汽船プロイセン号は、横浜港から出航したあと、神戸、長崎を経て、九月一三日から一六日に上海、 ー七日に福州、一九日から二〇日に香港、二四日にシンガポールに寄港した。さらに、マラッカ海峡に入り、ニ七日にマレー半島西岸にあるペナンに立ち寄り、一〇月一日には今日のスリランカ、セイロン島のコロンボ、さらにはアラビア海を越えて、一〇月八日から九日はイエメンのアデンに滞在。紅海からスエズ運河を通過して一〇月一四日には地中海に入った(図2参照)。
激石が通ったルートを地図の上でじっくりと確認するならば、プロイセン号が停泊した港は、いずれも英国と関わりの深い場所ばかりである。』(pp.42)
本題の「ユニオンジャックの矢」については、
『先述のごとく、英国のGDPの規模は世界第五位であるが、二〇一六年のGDPに関して、ここで言うユニオンジャックの矢に連なる五つの国、英国、UAE、インド、シンガポール、 オーストラリアの名目GDPを足し合わせると六・八兆ドルに達し、これは日本(約五兆ドル)を凌駕して中国に次いで第三位となる。』(pp.58)
このシナジー効果が、うまく発揮されているというわけである。しかも、それぞれが、まだ途上国的な成長過程にある。
ここから、話は突然に「エンジニアリング」に移る。
『一英国において「エンジニアリング」がいかに大事にされているかを示す象徴的人物が、イザムバード・キングダム・ブルネルである。英国の公共放送BBCが二〇〇二年に「英国の歴史の中で最も尊敬できる人物は」という設間の世論調査を行ったことがある。トップは誰もが知るウィンストン・チャーチル。続いて名前が挙がったのがブルネルだった。英国民に絶大な人気を誇り、一九九七年に事故で亡くなったダイアナ妃を三位に押さえての二位である。ブルネルの名を知る日本人はあまり多くはないが、英国人であれば知らない人はいないほどで、こうした調査では必ず上位にランクされる偉人である。一八二五年から始まった、ロンドンのテー ムズ川の下をくぐるテームズトンネル建設に技術者の父とともに関わり、世界で初めてシールド工法(掘削機で前方へ掘り進みつつ、後方ではすぐに壁をつくるトンネル構築の工法)を採用した。また一八三三年に設立されたグレート・ウエスタン鉄道社では、ロンドンと英国西部の港湾都市ブリストルとの間の橋やトンネル、駅舎などの施設、鉄道車両などを設計・施工した。英国人には、こうした巨大プロジェクトに挑み、実現させる総合エンジニアリング力が評価されるのである。』(pp.59)
私は、当初はここに出てくるグレート・ウエスタン鉄道に乗ってブリストル市に数十回通った。従って、ブルネルの功績はあちこちで出会った。中でも、「CLIFTON SUSPENSION BRIDGE」の印象は深かった。(エッチングの土産品の写真)
『「エンジニアリング」というと事業プロジェクトを実現する手法と考えられがちだが、広義には、個別の要素を統合して課題を解決するアプローチと言うべきであろう。事業プロジェクトもその一つだが、蓄積した歴史的体験を生かし、法務、経理・会計、財務における専門性を生かし、 多様な人材を活用して課題解決に立ち向かう「全体知」がエンジニアリングの本質であり、まさに英国らしいソフトパワーを凝縮した力とも言えるのである。
英国では、伝統的に金融とエンジニアリングの組み合わせが付加価値を創出するという共通認識が存在している。その活動を背景で支えているのがイギリス連邦(英連邦の存在である。』(pp.60)
高度なメタエンジニアリング指向があっても、それが実践できる場がなければ成果を産むことはできない。ユニオンジャックの矢は、それを数百年にわたって提供し続けている。
次に、「金融とエンジニアリングの組み合わせ」の例が示されている。
『ベクテル社は、サウジアラビアのあらゆる国家プロジェクト、港湾、鉄道、空港、道路などのインフラから、エネルギー関連、都市開発、農業開発などを総合企画・推進してきた主体であり、「サウジの企画部」とまで言われるほどである。』(pp.62)
さらに続けて、
『マクロ、エンジニアリング学会という団体があり、何回かその国際大会に私も参加してきた が、例えば「第ニパナマ運河」「マレー半島横断運河」「日韓トンネル」など気宇壮大なプロジェクトが研究報告され、驚かされた。複雑な利害を調整し、多様な専門性を注入してプロジェクトを完結させる柔らかい構想力が求められ、日本人が学んでいかねばならない分野と言えよう。』(pp.63)
最後の「おわりに―英国への思い」は、このように結ばれている。
『昨年、二〇一六年の一人当たりGDPにおいて、日本は三・九万ドルであり、もはやアジア
の先頭を走る豊かな国ではない。シンガポールは五・三万ドル、香港は四・四万ドルであり、かつて英国の植民地だったこの二つの国と地域がこれほどまで豊かになっているという事実は重い。GDPとは付加価値の総和であり、さしたる工業生産力もない国が「ものつくり」では なく、サービス、金融、情報、物流で付加価値を生み出し、国民を豊かにしている事実に注目したい。つまり、あらゆる知恵を駆使して負荷価値を剣出しているわけで、その知恵を生み出す触媒が「ネットワーク」である。』(pp.228)
『英国が 苦難の時を迎えるとき、多くの英国人が思い起こすのが「アーサー王の物語」である。大ブリテン島の守り本尊として、神話と想像力の産物であるアーサー王は、英国人のアイデンティティを高める存在なのである。五世紀後半から六世紀にかけて、英国がローマの属州としてのブリタニアだった頃、「サクソン人に抵抗したローマ化されたブリトン人」、もしくは「ブリトン化されたローマ人の将軍」の物語が、人々の夢物語と一体化して民族的英雄詩となっていっ たといわれ、この伝承の中に英国人の心象風景があるといってよかろう。これが中世のキリス ト教的騎士の理念型と二重写しになり、勇気、礼節、忍耐、忠誠という価値を体現するリーダー像となって昇華されていったと思われる。』(pp.236)
日本と英国の古代の歴史は似ているところが多い。大陸から一部の民族が移住し、原住民との間で、辺境の文化を醸成した。ケルト文化とアイヌ文化の比較も面白い。大陸では、巨大王国が繁栄したが、その影響をうまく利用して、文明のレベルを保つことに成功した。大きな違いは、大陸の王国が侵入を繰り返されたか否かであろう。日本は、たった一回の元寇だけだったが、英国は第二次世界大戦まで続いた。王朝も頻繁に交代した。その危機感の繰り返しの違いが、遠交近攻策にも似た、ユニオンジャックの矢を構築したのだろう。