生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(85)「超マクロ展望 世界経済の真実」

2018年09月15日 14時32分10秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(85)

書籍名; 「超マクロ展望 世界経済の真実」[2010]
著者;水野和夫、萱野稔人
発行所;集英社新書    2010.11.22発行

初回作成年月日;H30.9.15  最終改定日;
引用先; 企業の進化

 このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。メタエンジニアリングでは、自分の専門以外の分野を正しく統合するために、敢えて著作の原文をそのまま引用しています。



この書は、「超マクロ」であるがゆえに、経済学者の水野和夫と、哲学者の萱野稔人の対話の形で示されている。様々な観点から語られているのだが、そこからの要点を4つに絞った。

1. 国家間の交易条件の変化
2. 一人当たりの賃金
3. 覇権国の金利の推移
4. 規制がマーケットを創出する

・国家間の交易条件の変化
 
 「交易条件」の定義については、このような説明になっている。
 『「交易条件」とはどれだけ効率よく貿易ができているかをあらわす指標です。たとえば資源を安く手に入れて、効率的に生産した工業製品を高い値段で輸出すれば儲かりますよね。逆に、高い値段で資源を手に入れた場合、製品に価格転嫁できなければ儲けは薄くなります。
菅野 会社でいうと仕入れと販売の関係ですね。企業が儲けるためには、安く仕入れて高く売る。
水野 そうです。それを国単位で見るのが交易条件で、輸出物価を輸入物価で割ることで計算できます。これは国家として見た場合に、一製品あたりどれくらい利ざやを得ているかをあらわしています。』(pp.19)

 先進国と途上国の1958から現在までの交易条件の変化のグラフが示されている。そのグラフからは、オイル・ショックを境とした急激な変化を知ることができる。
 『水野 そうなんです。統計の制約上1958年以降しかグラフに入っていませんが、新興国や途上国などの周辺国では、東インド会社の時代から1960年代まで交易条件は下がりつづけました。先進国が安く原材料を仕入れて高く完成品を売る一方で、周辺国は高い工業製品を買って安い原油を売る。会社で 一〇〇年もこんなことをやっていれば、・・…。
菅野 絶対に破産しますね。
水野 とりわけ第一次オイル・ショック(1973年)を契機として、新興国、資源国の交易条件は急速に改善していきました。反対に先進国の交易条件は悪化しました。そしてご指摘のように、先進国の企業が儲からなくなったというとです。』(pp.20)
 
 この値は、従来は倍以上の差があったが、ほぼ同じ水準にまで近づき、歳によっては、逆転が見られるようになった。これははじめに説明された世界的な現象の裏付けとなっている。

 『グローバル化以前は、先進国は先進国に対して輸出していたからです。もちろん日本からたとえばサウジアラビアに自動車を輸出したりもしていましたが、ボリューム的にはやっぱりアメリカやョーロッパに輸出するほうが圧倒的に大きかった。 そういった状況では、資源価格の高騰は先進国に共通な現象なので、日本でインフレになっていればアメリカでも同様に一〇〇万円の自動車がたとえば二〇〇万円になりますから、一〇ドルの原油が二〇ドルになっても何事もなかったようにおさまってきたのです。もちろん七〇年代や八〇年代でも、資源価格があまりに高騰しすぎるとインフレがいきすぎてしまいますから、各国の中央銀行は金融引締めによって景気過熱をおさえなくてはならなくなり、結果的に不況を招来してしまうことにはなりました。 ところが、二〇世紀末からはじまった資源価格の高騰は、そういった次元では対処でき ない段階に入ってしまいました。新興国の台頭によって、エネルギーをタダ同然で手に入れることを前提になりたっていた近代社会の根底が揺さぶられているのです。』(pp.18)

・一人当たりの賃金

 このことから、10年ほど遅れて、賃金と景気変動の関係が根底から変わることになった。
 『不況で賃金が下がるというのは、ある程度やむをえない。やむをえないといっても、実際には日本では、九三年までは不況下でも賃金が下落することはありませんでした。賃金が初めて下
落したのは九七年から九九年までの不況だったのです。それ以前は、第一次オイル・ショックの終息後、九三年まで不況期は四回あったのですが、賃金は平均して年率 四・一%上がっています。景気がいい時期だと、年五・二%上がっていたのです。要するに、賃金は不況でも好況でも上昇していたのです。
しかし、九七年から賃金は、景気が良くても悪くても趨勢的に下がるようになりました。そして、九九~〇一年にはインターネットブームで景気が拡大するのですが、賃金はさほど上がりませんでした。ネットバブル後の不況になると、九七年の不況と同じように賃金は下落します。ついには、〇ニ~〇七年に戦後最長の景気拡大が実現しても、賃金水準は上がるどころか下落したのです。景気回復期で賃金が下落したのは戦後で初めてのことでした。
これは、景気が回復すると所得が回復することが別々の問題になっているということを意味しています。これまでだったら生産と所得と支出はちゃんと連結されていました。 しかしいまや、それらが切り離されてしまった。』(pp.24)
 その原因は、やはり同じところにあったというわけである。

 『ちょうどオイル・ショックやベトナム戦争が終わったあたりから交易条件が逆転して、実物経済のレベルでモノをつくるのでは十分な利潤を得ることができなくなった。実物経済では儲からなくなったので金融市場の自由化が促進されるようになったのです。』(pp.28)
 
 ところが、日本はこのような変化に鈍感であった。いや、気づいていたけれども、変化を受け入れることを拒否したのかもしれない。日本の伝統文化のなかで『日本はそのなかでも比較的パフォーマンスがよかったので、あまり実質経済の停滞というものを感じなくてすんだわけです。』(pp.29)


・覇権国の金利の推移

 1350年から現在までの「経済覇権国の金利の推移」というグラフが示されている。(pp.66-7)
そのグラフは、両者の関係を明確に示しているといえる。つまり、経済覇権国は、イタリアの都市国家 ⇒オランダ ⇒イギリス ⇒アメリカ と移ったことが、金利の変化だけで明確に示されている。

 『水野 そうなんです。最初はイタリアの都市国家、ジェノヴァとかヴェネチア、フィレンツエといったところで資本主義がはじまります。しかしすぐにその利潤率は低下します。 その後、資本主義の勃興とともに、世界経済の中心はオランダに移ります。そして一八世紀から一九世紀にその覇権はイギリスに移り、二〇世紀の前半にイギリスからアメリカに移るというかたちです。』(pp.68)

 『萱野 そのサイクルをみると、どの国のヘゲモニーにおいてもまず実物経済のもとで利潤 率が上がって、それがつぎに低下することで、金融化というか、金融拡大の局面になっています。そしてその金融拡大の局面で、ある種のハブル経済が起こる。つまり、どのヘゲモニーの段階においても、実物経済がうまくいかなくなると金融化が起こる。そしてその 金融化が進むと、同時に、その国のヘゲモニーも終わりにむかう。』(pp.69)

 『金融化にむかうということは、その時点で、その国のヘゲモニーのもとで生産の拡大ができなくなってしまったということを意味している。』(pp.69)
 この間は、どの国のケースでも、一時的に金利の上昇がみられ、その後は下がり続けるという形が表れている。

・規制がマーケットを創出する

 今日の「低成長時代における市場の在り方」もマクロ視点で、明確にあらわされている。それは、イノベーション偏重時代の現象を明確に語っている。

 『現在は、環境規制そのものが市場をつくりだしている。かつてなら経済活動を阻害するもの と考えられてきた規制が、逆に技術の市場価値を高めたり、新しい産業を育成したりするビジネスチャンスに変わってきたのです。
水野 自由競争とは逆向きですよね。
菅野 そうなんです。これまでは国家の規制と市場における経済活動は対立するものだと考えられてきました。少しまえの、規制緩和を求める新自由主義者たちはそうした考えの最後の担い手ですね。 しかし今後、環境の産業化がすすめば、こうした市場と規制の関係は大きく変わることになるでしょう。規制こそが市場をつくりだし、新しい利潤をうみだす回路になっていく のです。これからは産業界のほうから規制強化を求めるようなことだってあるかもしれま せん。環境規制がなくなれば、それまでの環境技術への投資が無駄になってしまいますから。』(pp.215)

 『日本経済を振り返っても、1970年代以降、先進国全体が低成長社会になっていくなかで日本だけが比較的パフォーマンスがよかったのは、省エネ技術をいち早く経済のなかに組み込むことができたからですよね。
水野 七〇年代のマスキー法がまさにそうですね。ひじょうに厳しい排ガス規制を定めた法律ですが、アメリカでは当初の目標からかなり後退して実施されたのに対して、日本では目標どおりの規制が実施されました。そのことで省エネ技術がずいぶん進歩しましたからね。』(pp.216)

 ジェットエンジンの世界でも、この恩恵が大きかった。一般的には推力のみで決まっていた価格が、排気ガスや騒音規制をクリアーするために、それらを改善した新機種が、従来よりも高値で取引されるようになっ。しかも、一定期間内での全取り換えが必要とされたわけである。

 この超マクロ展望だと、経済覇権国は国体にはよないことになる。イタリアは都市国家で、イギリスは王国、アメリカは民主主義国家だった。製造業で儲かった国が、資本を蓄えて覇権国になる構造ならば、次の覇権国は中国ということになる。しかし、それにはキリスト教徒の資本主義が継続する仮定が必要条件になる。現在の世界中に湧き起っている様々な文明論の中から、ゲームチェンジが起きるかもしれない。