メタエンジニアの眼シリーズ(84) TITLE: 「イスラム10の謎」
書籍名;「イスラム10の謎」 [2018]
著者; 宮田 律 発行所;中公新書
発行日;2018.5.10
初回作成年月日;H30.8.18 最終改定日;H
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
仏教に様々な宗派があるように、キリスト教にも歴史的に大きな宗派がある。しかし、東洋対西洋の視点でメタエンジニアリング的に考えると、キリスト教は旧約聖書に始まる西洋宗教の一宗派になってしまう。旧約聖書の3大宗派は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と思う。つまり、イスラム教は、この3つの中で最も進化した宗教と言えるのではないだろうか。
紀元前から現代までの流れを大雑把にくくれば、カリスマ的から論理的になり、やがて大衆的になってゆくという流れがある。この流れは、宗教だけでなく、政治の世界にも当てはまるように思う。様々な科学の中でも、そのような流れが存在する。
つまり、天才(預言者)によって、ある教えが発明されて、ローカル文化になり、合理性と普遍性が付与されて世界宗教という文明の一部になる、というわけであろう。
イスラム教は、中世の西欧では明らかにキリスト教を上廻っていた。十字軍はイスラム軍に歯が立たなかった。知的世界でも、雲泥の差があった。それなのに、スペインでのレコンキスタ以降は急激にキリスト教勢力に押され続けている。その謎を考えてみたいと思って、この本を選んだ。いずれ、総人口の上でイスラム教が優位になれば、また逆転があるのかも知れない。
著者は、「現代イスラム研究センター」の理事長なので、大局的な内容になっていると思われる。
・はじめに
複雑怪奇な中東情勢を理解するための入門書としての位置づけの後で、このようにある。
『こんにちキリスト教に次ぐ宗教人口を抱えるイスラムは、今世紀末までに世界最大の宗教
人口に達することが予測され、日本人がイスラムという宗教に関わる機会はますます増えて いくだろう。過激派による暴力が繰り返され、イスラムには「怖い宗教」「物騒」という見方があることは間違いない。しかし、イスラムが信徒を拡大していった背景、人々に倫理や。 法を説く『コーラン「クルアーン)』の内容、預言者ムハンマドの生涯などを知れば、イスラムは危険であるという一面的な考えは払拭されるだろう。さらにイスラムの歴史と社会制度を理解することは 、世界史を読み解く大きな手助けとなる。』(pp.3)
さらに続けて、
『世界的に見ると、イスラムはムハンマドが生きたアラビア半島に新たな秩序と安寧を与え、 イスラム共同体は平和な社会を求める人々の間で求心力を急速に高めていった。ムハンマド 以前のアラビア半島は小王朝が乱立し、各部族がそれぞれの神を祀り、この地域全体を治める政治的権威に欠けていた。イスラムは唯一神(アッラー)への帰依を訴えることにより、 人々を包み込む大きな政治・社会的権威となっていった。 イスラム帝国がその版図を急速に拡げていったのは、欧米でたびたび言われる、「右手に コーラン、左手に剣」という好戦的な姿勢であるよりも、イスラムが説く教えがビザンツ帝 国など当時の社会で定着していた階級を乗り越え、「公平」や「平等」を訴えて求心力を得 たことが大きい。そうでなければ、住民から税を取り上げて、それを帝国の財政基盤にして拡大することは不可能であった。』(pp.4)
つまり、本質はキリスト教よりも近代的で合理的というわけだ。
そして、西欧ルネッサンスへの転機としては、
『8世紀以降、東西世界を支配するようにな ったムスリムたちはギリシャ古典のアラビア語訳に取り組むようになり、イスラム帝国の首都バグダードは医学、科学、天文学など世界の学術研究の中心となった。ムスリムがつくり上げた学術的遺産をヨーロッパ人たちも学ぶようになり、それが後にルネッサンス文化として開花していくことになる。』(pp.5)
いわゆる12世紀のルネッサンスである。
しかし、これ以降は様々な対立が激化してくる、それらは現代まで続いている。対立の継続が、進化を遅らせているように思えるのだが、逆に、対立によって生み出される多くの知恵が、将来の大進化の元になるのかもしれない。日本人が、平和ボケの間に、彼我の差は開いてゆく。
・第1のなぞ;「なぜ、16億人もいる世界宗教に発展したのか?」
ここには、啓典と預言者が示されている。
『③啓典
「コーラン」の中では4つの啓典が預言者に伝えられたものとして言及されている。ム ーサー(モーセ)に下された「タウラート(モーセ五書)」、ダーウード(「旧約聖書」のダビデ)に下された『ザブール(詩篇)』、イーサー(イエス)に下された『インジール(福音書)』、そして『コーラン』の4つである。 ユダヤ教とキリスト教の啓典が含まれているように、ユダヤ教徒とキリスト教徒は 「啓典の民」と呼ばれ、本来はムスリムと同じ信仰をもつとされている。イスラムでは、 「啓典の民」は神と最後の審判の日を信じ、善行を積めば天国に行くことができ、『コー 一ン』だけが神の言葉を正しく伝えていると考えいる。』
『④預言者
啓示された神の言葉を人類に伝える者たちである。ヌーフ(「旧約聖出」のノア)、イブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)とムハンマドの5 人だが、さらにアーダム(アダム)、ダーウード(ダビデ)、マルヤム(イエスの母マリ ア)を含める説もある。『コーラン』はアーダムに始まってムハンマドに終わる預言者の系譜を伝えているが、ムハンマドが最高位で最後の預言者であるとしている。』(pp.95)
これらは、明らかにキリスト教を超えたもののようになっている。
特に優れているのは、普遍的な倫理面だと思う。それは、「ザカード」と称する喜捨に表れている。
『⑧喜捨(ザカート)
「喜捨」は、貧者を救うための財産税であり、毎年蓄積された富や資産に対して多くの 場合、金銀、商品については2 ・5%が課せられる。本来の意味は「浄め」であり、ム ハンマドはこれをムスリムの重要な徳目の1つと考えていた。喜捨はイスラム共同体の メンバーであることを信徒に自覚させ、またその責任を確認する行為でもある。神への 信仰が等しく行われるのと同様に、ムスリムは信徒の間で経済的に平等であることを配慮しなければならない。
富は神から信頼されているから得られるのであって、その信頼に応じて貧者、孤児、未亡人など弱い者に与えられ、さらに奴隷の解放、債務者の救済、旅行者への支援、またイスラムの普及のために活動する者(戦士)に用いられる。』(pp.90)
最後の「またイスラムの普及のために活動する者(戦士)に用いられる」が、しばしば問題を引き起こすが、全体としては合理的と言える。
有名な「断食」も、そこから出てきたものではないだろうか。仏教にも断食はあるが、その間に行うべき行為については、イスラム式のほうが倫理的に普遍のように思う。
イスラム経済の根本原則は、資本主義とは異なる。イスラム人口が世界の最大数になると、資本主義が破綻した後の経済原則になるのかもしれない。それは、商取引における「正義」。
『イスラムの教えの1つに 、「客の権利」と呼ばれる3日間にわたる宿泊と食事の権利が与
えられている。『コーラン』では宗教に強制があってはならないと説き(2章256節)。宗教的な寛容性はアラビア語の「タサーフム(相互寛容)」という言葉で表される。イスラム世界の人々が日本入のような異文化世界から来た旅人に対して極めて愛想がよいことに容易に気づくだろう。』(pp.97)
なぞの2(「コーラン」に記された意外な事実と、記されなかった真意とは)~10(寛容公正なイスラムのもとで なぜ、独裁的な体制が生まれたのか)はここでは省略する。
いずれも、砂漠に生まれ育った砂の文化だと思うのだが、長くなるので、割愛する。一神教による様々な弊害は、数世紀にわたって顕在化している。一神教と多神教の共存状態は、今後、どのように変化してゆくのだろうか。多神教が一神教に勝る文明を創造することはできるのであろうか。
書籍名;「イスラム10の謎」 [2018]
著者; 宮田 律 発行所;中公新書
発行日;2018.5.10
初回作成年月日;H30.8.18 最終改定日;H
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
仏教に様々な宗派があるように、キリスト教にも歴史的に大きな宗派がある。しかし、東洋対西洋の視点でメタエンジニアリング的に考えると、キリスト教は旧約聖書に始まる西洋宗教の一宗派になってしまう。旧約聖書の3大宗派は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と思う。つまり、イスラム教は、この3つの中で最も進化した宗教と言えるのではないだろうか。
紀元前から現代までの流れを大雑把にくくれば、カリスマ的から論理的になり、やがて大衆的になってゆくという流れがある。この流れは、宗教だけでなく、政治の世界にも当てはまるように思う。様々な科学の中でも、そのような流れが存在する。
つまり、天才(預言者)によって、ある教えが発明されて、ローカル文化になり、合理性と普遍性が付与されて世界宗教という文明の一部になる、というわけであろう。
イスラム教は、中世の西欧では明らかにキリスト教を上廻っていた。十字軍はイスラム軍に歯が立たなかった。知的世界でも、雲泥の差があった。それなのに、スペインでのレコンキスタ以降は急激にキリスト教勢力に押され続けている。その謎を考えてみたいと思って、この本を選んだ。いずれ、総人口の上でイスラム教が優位になれば、また逆転があるのかも知れない。
著者は、「現代イスラム研究センター」の理事長なので、大局的な内容になっていると思われる。
・はじめに
複雑怪奇な中東情勢を理解するための入門書としての位置づけの後で、このようにある。
『こんにちキリスト教に次ぐ宗教人口を抱えるイスラムは、今世紀末までに世界最大の宗教
人口に達することが予測され、日本人がイスラムという宗教に関わる機会はますます増えて いくだろう。過激派による暴力が繰り返され、イスラムには「怖い宗教」「物騒」という見方があることは間違いない。しかし、イスラムが信徒を拡大していった背景、人々に倫理や。 法を説く『コーラン「クルアーン)』の内容、預言者ムハンマドの生涯などを知れば、イスラムは危険であるという一面的な考えは払拭されるだろう。さらにイスラムの歴史と社会制度を理解することは 、世界史を読み解く大きな手助けとなる。』(pp.3)
さらに続けて、
『世界的に見ると、イスラムはムハンマドが生きたアラビア半島に新たな秩序と安寧を与え、 イスラム共同体は平和な社会を求める人々の間で求心力を急速に高めていった。ムハンマド 以前のアラビア半島は小王朝が乱立し、各部族がそれぞれの神を祀り、この地域全体を治める政治的権威に欠けていた。イスラムは唯一神(アッラー)への帰依を訴えることにより、 人々を包み込む大きな政治・社会的権威となっていった。 イスラム帝国がその版図を急速に拡げていったのは、欧米でたびたび言われる、「右手に コーラン、左手に剣」という好戦的な姿勢であるよりも、イスラムが説く教えがビザンツ帝 国など当時の社会で定着していた階級を乗り越え、「公平」や「平等」を訴えて求心力を得 たことが大きい。そうでなければ、住民から税を取り上げて、それを帝国の財政基盤にして拡大することは不可能であった。』(pp.4)
つまり、本質はキリスト教よりも近代的で合理的というわけだ。
そして、西欧ルネッサンスへの転機としては、
『8世紀以降、東西世界を支配するようにな ったムスリムたちはギリシャ古典のアラビア語訳に取り組むようになり、イスラム帝国の首都バグダードは医学、科学、天文学など世界の学術研究の中心となった。ムスリムがつくり上げた学術的遺産をヨーロッパ人たちも学ぶようになり、それが後にルネッサンス文化として開花していくことになる。』(pp.5)
いわゆる12世紀のルネッサンスである。
しかし、これ以降は様々な対立が激化してくる、それらは現代まで続いている。対立の継続が、進化を遅らせているように思えるのだが、逆に、対立によって生み出される多くの知恵が、将来の大進化の元になるのかもしれない。日本人が、平和ボケの間に、彼我の差は開いてゆく。
・第1のなぞ;「なぜ、16億人もいる世界宗教に発展したのか?」
ここには、啓典と預言者が示されている。
『③啓典
「コーラン」の中では4つの啓典が預言者に伝えられたものとして言及されている。ム ーサー(モーセ)に下された「タウラート(モーセ五書)」、ダーウード(「旧約聖書」のダビデ)に下された『ザブール(詩篇)』、イーサー(イエス)に下された『インジール(福音書)』、そして『コーラン』の4つである。 ユダヤ教とキリスト教の啓典が含まれているように、ユダヤ教徒とキリスト教徒は 「啓典の民」と呼ばれ、本来はムスリムと同じ信仰をもつとされている。イスラムでは、 「啓典の民」は神と最後の審判の日を信じ、善行を積めば天国に行くことができ、『コー 一ン』だけが神の言葉を正しく伝えていると考えいる。』
『④預言者
啓示された神の言葉を人類に伝える者たちである。ヌーフ(「旧約聖出」のノア)、イブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)とムハンマドの5 人だが、さらにアーダム(アダム)、ダーウード(ダビデ)、マルヤム(イエスの母マリ ア)を含める説もある。『コーラン』はアーダムに始まってムハンマドに終わる預言者の系譜を伝えているが、ムハンマドが最高位で最後の預言者であるとしている。』(pp.95)
これらは、明らかにキリスト教を超えたもののようになっている。
特に優れているのは、普遍的な倫理面だと思う。それは、「ザカード」と称する喜捨に表れている。
『⑧喜捨(ザカート)
「喜捨」は、貧者を救うための財産税であり、毎年蓄積された富や資産に対して多くの 場合、金銀、商品については2 ・5%が課せられる。本来の意味は「浄め」であり、ム ハンマドはこれをムスリムの重要な徳目の1つと考えていた。喜捨はイスラム共同体の メンバーであることを信徒に自覚させ、またその責任を確認する行為でもある。神への 信仰が等しく行われるのと同様に、ムスリムは信徒の間で経済的に平等であることを配慮しなければならない。
富は神から信頼されているから得られるのであって、その信頼に応じて貧者、孤児、未亡人など弱い者に与えられ、さらに奴隷の解放、債務者の救済、旅行者への支援、またイスラムの普及のために活動する者(戦士)に用いられる。』(pp.90)
最後の「またイスラムの普及のために活動する者(戦士)に用いられる」が、しばしば問題を引き起こすが、全体としては合理的と言える。
有名な「断食」も、そこから出てきたものではないだろうか。仏教にも断食はあるが、その間に行うべき行為については、イスラム式のほうが倫理的に普遍のように思う。
イスラム経済の根本原則は、資本主義とは異なる。イスラム人口が世界の最大数になると、資本主義が破綻した後の経済原則になるのかもしれない。それは、商取引における「正義」。
『イスラムの教えの1つに 、「客の権利」と呼ばれる3日間にわたる宿泊と食事の権利が与
えられている。『コーラン』では宗教に強制があってはならないと説き(2章256節)。宗教的な寛容性はアラビア語の「タサーフム(相互寛容)」という言葉で表される。イスラム世界の人々が日本入のような異文化世界から来た旅人に対して極めて愛想がよいことに容易に気づくだろう。』(pp.97)
なぞの2(「コーラン」に記された意外な事実と、記されなかった真意とは)~10(寛容公正なイスラムのもとで なぜ、独裁的な体制が生まれたのか)はここでは省略する。
いずれも、砂漠に生まれ育った砂の文化だと思うのだが、長くなるので、割愛する。一神教による様々な弊害は、数世紀にわたって顕在化している。一神教と多神教の共存状態は、今後、どのように変化してゆくのだろうか。多神教が一神教に勝る文明を創造することはできるのであろうか。