茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

生姜豆乳タンメン

2012-02-26 23:27:45 | Weblog
今まで、無骨な看板から、
何か、雑な味のラーメンしかなさそうな店、、、
と、敬遠してた、ラーメン屋、
珍来。

しかし、その店の横を通る度に、
「生姜豆乳タンメン」という、のぼりが気になっていた。

事前にWEBで、どんなもん?
と調べたら、かなり美味しそうだったので、
本日、思い切って、行ってみた。
おぉ、想像以上にいいぞ。

WEBで書いてあったように、
真ん中にボンっ!と、マッシュポテトが載っており、
チーズ?がふってあり、
野菜に肉にバランスのいい構成。

そして、豆乳スープの味も美味しい。

とっても美味しかったが、
ただ、麺が、太めの麺もしこしこ美味しかったが、
女性には多すぎ。

半分くらい残してしまった。
たぶん女性を意識したラーメンなのだろうから、
麺を半分にし、野菜をもっとたくさんにしたら、
いいだろうに。

そこだけが残念。

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善意という暴力。

2012-02-26 00:29:48 | Weblog
「タクシードライバー、苦労人と見えて、
 私の涙、見て、見ぬふり。
 天気予報が今日も外れたとか、
 野球の話しばかり何度も何度も繰り返す。」

この、中島みゆきの歌。
初めて聞いたとき、
このあまりに達観した、この詩に震えた。

ずるい、普段、お茶ら気ているくせに、
実は、こんな深い詩を語る内面あるじゃない。
見事に隠しやがって、中島みゆきめ。

でもさ、世の中には、
その涙に触れる人の多いことか。
触れるだけならまだしも、
涙を止めようとさえする、人も。

人と自分は違うんだよ。
そんな、簡単なこと気づいてない人は多い。

今、たぶん、私の中で、
ぐるぐると、不快な感情が渦巻いているのだ。
たぶん、まとまりのない散文になるのは、
書いている、今、既にわかっている。

本日、知人が厚意であることをしてくれた。
その人は100%善意で、してくれたことは疑いない。
その人がとってもいいと思ったことを
是非、私にも!
と厚意でしてくれたことを感じたから、
聞く努力をした。

だが、段々、段々、
不愉快な感情が自分の中に芽生えてきて、
正直、
「うっとおしい。」
の境地に至る。

その話を聞いているうちに、
そういえば、その人に対して、昔、抱いた感想は、
「価値観の多様性というものを
およそ創造する感覚が欠落してる人だな」
と、その人と接していると息苦しさを覚えたことを思いだした。

そう、自分の価値観が物事を考える物差し。
それ以外の物差しがあるとは想像も出来ないようだ。
その人の価値観は、常に日本人のマジョリティに一致する、
一般的なものなので、それはそれで、ありだと思う。

でも、常にマイノリティで、人と違う感性、
価値観を持ってきたマジョリティの世論と常に戦ってきた私は、
「貴方は貴方、私は私」
の違う価値観がどちらも存在してきた。

根本のそこが違うから、
たぶん私が段々、不愉快になってきたことは、
その人は微塵も気づいてないだろうし、
今後、気づくこともたぶんないであろう。

私の大好きな友人、N子は、とある宗教の信者だ。
その宗教の人とは、かつて何度となく、
勧誘の囲いこみがあり、
信者に引き込まれそうになるほど、
勧誘を激しく課している宗教だ。

だが、N子は何十年とつきあっているが、
一度も私を信者に引っ張りこもうとした事はない。
彼女は、その宗教の熱心な信者であるにもかかわらず。

N子といて、居心地いいのは、
人と自分は違う、
それがわかっているから、
自分の価値観で、人にものを押し付けたりしない。

自分が間違いなく、いいと信じているものでさえ、
決して人に薦めたりはしないのだ。

だけど、こっちが助けを求めたら、
その時は、すっと救いの手を差し伸べてくれる、
そんな、懐の深さがある。

彼女がタクシードライバーであれば、
間違いなく、涙を見て見ぬふりをするであろう。

善意という衣をまとった行為、
それは、私に静にボディブローを与え続ける、
暴力。

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