母の容態がもう退院できるレベルまで回復し、来週、施設に戻る予定です。
と言っても寝たきりには変わりないし、病院のドクターも施設のナースもケアマネも、みんな口を揃えて「同じことの繰り返しになる」「そのサイクルはどんどん短くなる」と言ってるから、遠からずまた究極の選択を、つまり「救急搬送するかしないか」「延命治療するかしないか」の答えを迫られる事になるんでしょう。
母が(全介助が必要とはいえ)少しでも食事を採るようになったのは、本能的にせよ生きる意志があるって事だから、再び危機に見舞われたらやっぱり救急車を呼ぶべきなのか?
だけど母はすでに老衰が進んでるんだから、自然の摂理に従ってそのまま施設で看取るべきなのか?
大抵の人は、愛情とか寂しさとか、罪悪感とか世間体で前者を選ぶでしょう(1ヶ月前の私もそうだった)けど、今はもう自然に任せるしかないと思ってます。以前からそういう主義だった筈なのに、いざ事が起きると鬼になりきれない。
でも点滴治療を続けるか否かの決断を迫られたとき、私は罪悪感を一生背負う覚悟を決めたんです。
どっちの道が正しいのか、それは誰にも分からない。どっちを選んだとて残酷です。
そんな状況の中、居間の押し入れにあったエッセイ本『夫の後始末』を見つけた事には大きな意味を感じます。小説家でカトリック教徒でもある著者は、こんなふうに書いておられました。
「ぜんぶ神が決めた事だと思えばラクに生きられる。」
何もかも全部ひとりで背負わなくていいっていう結論に「導かれた」としか思えません。自分で買った本ならともかく、母がずいぶん前に買った本なんです。
それでも、目の前で母親が苦悶する姿を見るのは本当にキツい。もし再びそんな状態になったとき「救急車はもう結構です」って言える勇気が、果たして自分にあるのかどうかやっぱり分からない。
だから、どうか穏やかに、眠るように。きのう病室を訪れたとき、母が久々に穏やかな顔で寝てて救われた気がしました。
神様、本当にお願いします。親子ともども、もう充分に苦しみました。せめて今後は、どうか穏やかに。