想定よりも早く迫られた「延命治療を続行するか否か」の決断で後者を選んでから、丸1週間が経ちました。
あの次の日は公休日で、けっこう罪悪感に打ちひしがれてツラい1日を過ごしたのに、そのまた次の日の仕事帰りに様子を見に行ったら、母の容態がむしろ向上してて驚きました。
点滴を抜いたらみるみる栄養値が下がり、1週間ぐらいでお別れになるんだろうと覚悟してたもんで、看護師さんから「今日のお昼ごはんは全食してくれましたよ」って聞いて、よしもと新喜劇ばりにズッコケました(心の中で)。
母が食事を摂らないって聞いたから決断したのに、話が違うやん! 逝きたいのか生きたいのか、一体どっちやねん!?
まぁしかし、絶対に本音を言ってくれないウチの母らしいスカシです。こっちが身構えてるのを察して「意地でも死んでやるもんか」って思ってるのかも?
それならそれでいい。母自身が納得するまで、あるいは天寿とやらを全うするまで、生きてくれれば。私はもう、自分に出来ることは全てやり尽くしたから、あとは最後まで見守るだけ。
ところで、相変わらずメールの1つもよこさない兄には、全てが終わってから事後報告でいいやと最近まで思ってたけど、さすがにそれじゃ後味が悪すぎるかと考え直し、母が今こういう状態にある事と、看取りと葬儀は自分1人に任せて欲しい旨をメールで伝えたら、快諾の返事を貰えました。
これまで私が全部1人でやって来たんだから、最後の締めも1人でやらせて欲しい。兄に伝えたその理由は偽らざる本音だけど、来てもらいたくない理由が他にもあることを、旧くからの読者さんなら察して頂けるかと思います。
もうちょっと前の私なら、迷わず事後報告にしたかも知れません。いろんな葛藤を乗り越えてここまで来て、また少し私は大人になった。頭髪は大量に無くしたけど、代わりに得たものも大きい。それはきっと、残りの人生の糧になりましょう。
とにかく母は頑張って生きてます。その年齢(91)まで頑張る自信は私には無いけど、「使命は果たした」なんて言い訳して人生を放棄するのはまだまだ早いなと、今は思ってます。
そもそも死ぬこと以上に怖いことなんか、この世に無い。どんな生きものだって生きるために生まれて来たんだから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます