懐かしのハリウッド・ポリスアクション映画をもう少しご紹介したいと思います。このジャンルの真打ちとも言える、クリント・イーストウッド御大が監督と主演を兼任された1990年(日本公開は'91年)の作品です。
御大が自ら監督・主演された刑事物としては'77年の『ガントレット』、'83年の『ダーティハリー4』に続いて3本目となり、この『ルーキー』の翌年に西部劇『許されざる者』を撮られてアカデミー作品賞&監督賞はじめ各賞を総なめ、今やアメリカを代表する名監督となられたのは皆さんご存じの通り。
しかしこの『ルーキー』は、あの『許されざる者』の直前に撮られた作品とは思えないほど肩の力が抜けてますw アクション描写もイーストウッド映画屈指の派手さで、御大の娯楽路線の究極形と言っても過言じゃないと思います。
御大がここまでラフな姿勢で取り組めたのは、実質上の主役が相棒のルーキー刑事を演じたチャーリー・シーン氏だから、かも知れません。タイトル通りです。
御大が演じられたのはロサンゼルス市警の殺人課……ではなく車両盗難課のベテラン刑事=ニック・パロヴスキー警部補。だけどその捜査法は脅して殴って最後は射殺というw、ダーティハリーの頃から1ミリたりとも変わってませんw
そんなニック刑事が宿敵とも言える大悪党=ストロム(ラウル・ジュリア)の一派に古くからの相棒を殺され、復讐に燃えるんだけど、捜査は殺人課に引き継がれたばかりか、エリート街道まっしぐらの新米刑事=デヴィッド・アッカーマン(チャーリー・シーン)を新たな相棒として押し付けられちゃう。要は監視役です。
デヴィッドは大富豪(トム・スケリット)の息子すなわちボンボン刑事なんだけど、幼いころ一緒に遊んでた弟を転落事故から救えなかった(足がすくんで見殺しにしちゃった)深刻なトラウマを抱えてる。
いなくなった弟の分まで甘やかされ、すっかり優等生に育てられたデヴィッドは、そんな自分の殻を破りたくて刑事になったという『太陽にほえろ!』のドック(神田正輝)を彷彿させるキャラクター。
で、規則という規則を破って全てを暴力で解決するニック先輩に、反発しつつも知らず知らず感化され、ストロム一派に捕まった彼を単身で救出することでトラウマを克服し、デヴィッドは脅して殴って射殺してがモットーの立派な暴力刑事に成長を遂げるのでしたw
あらためてこの映画を観て、スタローン先生やシュワちゃんやジャッキー達がいくら『ダーティハリー』の真似事をしても成功しなかった理由が、つくづくよく解りました。
やっぱり、脅して殴って射殺して、ついでに小粋なアメリカンジョークを決める暴力刑事のキャラは、イーストウッド御大が演じるからこそ魅力的なんですよね!
こんなストーリーでもw、そして御大独特のスローテンポな演出でも全く退屈せずに楽しめるのは、古今東西すべての暴力刑事が束になっても敵わないだけの魅力を、御大がずっと放ち続けてるから。もうホント、それだけで面白くて満足出来ちゃうんですよね。これはもう、理屈じゃ説明のしようがありません。
前述のとおり実質上の主役はチャーリー・シーン氏であり、彼も素晴らしい仕事をしてるんだけど、映画自体はやっぱりイーストウッド御大の魅力で溢れてる。そりゃ先生やシュワちゃんが真似せずにいられないワケです。
今回、久々に御大の映画を観て、若い頃に何回観たことか判んない『ダーティハリー』シリーズや『許されざる者』あたりをまた観たくなりました。
先生もシュワちゃんもそれぞれ「スタローン映画」や「シュワルツェネッガー映画」と呼ぶしかない独自のジャンルを築き上げて来られたけど、どうしたって「イーストウッド映画」だけは超えられない。今回の『ルーキー』みたいにラフな作品を観ればこそ、その事実をホントに思い知らされます。
暴力刑事を語るなら、まず『ダーティハリー』シリーズや『ガントレット』は必須科目。そしてその路線の締めくくりとして本作『ルーキー』も外せません。
セクシーショットは悪党ストロムの愛人=リースルを演じたソニア・ブラガさんと、デヴィッドの恋人=サラを演じたララ・フリン・ボイルさん。
拉致監禁されたニック刑事がリースルに「犯される」場面にはイーストウッド御大の性癖らしきものが垣間見られ、そういう意味でも御大を知るにはうってつけの作品と言えそうです。
ハリソンくんに対抗して、私はデニーロくんにしたかったが、あまりにも、ブログの形になりませんでしたから、やめておきます。バディものとして、おすすめは、「ショウタイム」などいかがですか?コメディアクションですかね。珍しい銃もでてきます。
デニーロはやっぱり良いですよね。そしてマーフィーとの対照的な組み合わせも絶品です。
イーストウッドの真似はやはり難しいのでしょうw