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夜が明け、母に朝食を用意し、昼食を買い出しに出かけ、その調理(鍋で煮込むだけ)を兄に委ね、まずは銀行へ。
それは自分か兄が死んだときの為に葬儀屋さんから勧められた、一部前払い契約の振込み。このタイミングで勧められて断る人は少ないでしょう。
で、そのついでに、銀行窓口で相続のことをちょっと尋ねたら、途方も無い量の手続きが要ることが判り(その説明だけで小一時間)、早くもすでに疲労困憊です。大変なもんだと噂には聞いてたけど、具体的に知るともう……
あらためて、ゆっくりやろうと開き直りました。私も本来は兄と同じダメ人間ですから、交渉とか手続きの類いは大のニガテ。ちょっとした書類を書くだけでも異様に疲れちゃう。
幸い、休暇が終わっても私は午後から出勤のポジションだから、午前中は引き続き動けるんです。
てなワケで、銀行の用事を終えてから、休日のルーティンで本屋さんに寄り、いま、市役所近くのコメダでランチしてます。
しかし人生って、やっぱり運命があらかじめ決まってるのかなって、今すごく実感してます。
もし私が、映画監督みたいな身の丈に合わない仕事を経験せず、めちゃくちゃスパルタな女性と同棲して社会常識を叩き込まれてなかったら、兄以上の「なにも出来ない人」になってたに違いありません。
もしそうなってたら、マトモに両親を見送ることも、こうして手続きに回ることも出来なかったかも知れません。そもそも、私は若いうちに自殺するつもりでしたから。
その自殺願望を忘れさせてくれたのが、初めてカノジョになってくれた自主映画仲間の女の子。そして私が監督を目指すほど映画を好きになったのは、SF映画やチャップリンが大好きだった、父の影響なんです。
父が息を引き取ったのは、土曜の夜。私がその日の勤務を終えて、帰宅したのとほぼ同時でした。
そして、私の定休は日曜と月曜なんです。結果的に、会社にかける迷惑が最小限で済みました。
さらに思い返せば、私が長い独り暮らしに見切りをつけ、実家に戻ることを決めたのも、それ以前に父が「帰って来て欲しい」って言ってたのを思い出したからでした。
いま、葬儀を経てスピリチュアルな気分になってるせいもあるだろうけど、私の人生はすべて、父をサポートする為にあったような気がしてます。
私が葬儀であんなに泣いたのは、どんな時でも父だけは私を信じ、いつも味方になってくれたから。
父に甘やかされたからオレはダメ人間になった、なんて理不尽な逆恨みをした時期もあるけど、もし父という絶対的な味方がいなかったら、私の人生は間違いなく悲惨なものになってた筈です。たぶん、とっくにこの世を去ってるでしょう。
もし運命の赤い糸ってものが実在するなら、私の糸は父と繋がってたのかも? キモい? あれはカップルだけのもん? まぁとにかく、血縁だけとは思えない関係。
だから、父の連れ添いである我が母も、私が最後まで護らなきゃいけません。それが私に残されたミッション。まだまだ頑張ります。
そんなワケで、これから市役所に行って来ます✋
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