新書『映画を早送りで観る人たち』の序章で、著者の稲田豊史さんはこう書かれてます。
「10秒間の沈黙シーンには、10秒間の沈黙という演出意図がある。そこで生じる気まずさ、緊張感、俳優の考えあぐねた表情。それら全部が、作り手の意図するものだ。そこには9秒でも11秒でもなく、10秒でなければならない必然性がある(と信じたい)。」
それを「飛ばす」「倍速で観る」なんてのは「石川さゆりの『天城越え』やあいみょんの『マリーゴールド』を倍速で聴いたり、サビ以外を飛ばして聴いたりするくらいの逸脱行為に思える」とも。
まったくその通りだと私も思うけど、倍速視聴が当たり前になってる人たちにそれを言っても、たぶん「は?」「なに言ってんの?」てな反応しか返って来ないでしょう。
彼らが求めてるのはコミュニティで仲間外れにされない為の「情報」だけですから、作者の意図なんか知った事じゃない。
私が映画やドラマを観るとき、あるいはレビューするときに何をいちばん考察するかと言えば「作者の意図」ですから、そりゃもう彼らとの間には絶望的な隔たりがある。作品を観る目的からして全く違うから話になりません。
倍速視聴やファスト映画を好む人らに共通する特徴として、とにかく「早く結末を知りたがる」ってのがあるみたいです。
通して観るのが面倒くさくなったり、その時間が勿体ないから、ファスト映画やネタバレサイトで手っ取り早く結末を知る……っていう行為まではまぁ、まだ理解できなくもない。その作品に吸引力が足りなかったとも言えますから。
でも、先に粗筋を調べて「結末を知ってから初めて本編を観ます」なんて言うヤツも結構いるなんて聞くと、もはや同じ地球上に生きてる人間とは思えません。
例えば本気でサッカーが好きな人が、リアルタイムで試合を観られなくて、終了後に録画したのを観る場合、事前に勝敗結果を調べるなんて絶対しませんよね?
本気で好きなら、早送りやダイジェストで満足できる筈もない。ゴールが決まった瞬間に興奮したり一喜一憂できるのは、なかなか決まりそうで決まらない課程をハラハラ、時にはイライラしながら観て来たからこそですよね?
その課程をすっ飛ばして、ゴールが決まった瞬間だけ観て興奮する人がいるなら、そりゃ単なるパブロフの犬でしょう。役者さんが泣いて見せて、切ないBGMを流せば条件反射的に(いとも簡単に)泣いてくれる日本映画の多くの観客たちと同じです。
だからタイトルに「バカ」って書いたんです。感性も考察力もすっかり退化した、パブロフの犬って言ったら犬に失礼なほどの白痴ぶり。一体、なんでこんな事になっちゃったのか?
しかしホントに、これが今の現実らしいのです。倍速視聴、10秒スキップ、ファスト映画などを常用してる人たちに、異常なことをしてる自覚はまったく無いんだとか。
私が大好きな「悪党どもを片っ端からぶっ殺す」アクション映画だって、その悪党どもがさんざん悪いことして、そいつらに主人公やその身内が酷い目に遭わされる課程をすっ飛ばしたら、ヒーローが単なる殺人狂にしか見えなくなっちゃう。
それでいいのか? いいワケがない! 映画やドラマが一体なんの為に存在するのか、その意義すら解んなくなってくる。ああホント、破滅としか言いようありません。
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