ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『ゴリラ/警視庁捜査第8班』'89~'90―1

2019-02-23 00:00:08 | 刑事ドラマ HISTORY









 
1989年の4月から1年間、全46話が放映された石原プロモーション制作の刑事アクションです。『西部警察』シリーズと同じテレビ朝日系列・日曜夜8時の放映枠でした。

しかし、この『ゴリラ』は『西部~』を超える「ポリス・アドベンチャー」として鳴り物入りでスタートしたにも関わらず、視聴率は低迷し、途中から大幅な路線変更を余儀なくされました。

私自身、渡 哲也&舘ひろし&神田正輝という石原プロのスリー・トップが初めて揃う刑事アクションって事で、大いに期待しながら観たものの、最初の4~5話で挫折しちゃいました。当時は「つまんない」と感じたんですね。

だけどアクションドラマがすっかり絶滅した今となっては、やっぱりあれだけお金をかけて刑事アクション物を創ってくれる事そのものが、とても有り難くて素晴らしいと思えます。

それに近年CATVのファミリー劇場chで毎週放映されてたのを、私はほとんど欠かさずに観てたんですよね。本当につまんなかったら、いくら好き者でも毎週観るなんて事は出来ませんから、何らかの魅力があるんだろうと思うワケです。

本放映当時、なぜ私はつまんないと感じたのか? なのに今、毎週観てしまうだけの魅力って、一体何なのか? それを考察してみたいと思います。


☆自由過ぎる「第8班」の設定。

最大にして根本的な間違いはこれじゃないかと、私は思ってます。なぜか「ゴリラ」と呼ばれてる警視庁捜査課「第8班」は、アメリカで言うFBIみたいなもんで、警察から民間委託された独立部隊なんですね。

そこまでなら『大追跡』の遊撃班や『大激闘』のマッドポリス等の前例があるんだけど、この「第8班」にはとんでもない特権が与えられてて、彼らはあらゆる所轄のあらゆる事件に介入出来て、捜査の為ならどんな犯罪行為も許され、おまけに殺人のライセンスまで与えられている!

もう言い飽きるくらい言って来ましたけど、刑事ドラマを「なんでも有り」にしちゃ絶対ダメなんです。その理由は、倫理的な問題は置いといても、単純に面白くなくなっちゃうからです。

『西部警察』が痛快だったのは、派手にドンパチ撃ちまくったり、乗り物や建造物を爆破しまくるから、だけじゃないと私は思ってます。犯人逮捕の為なら生命を惜しまず、時にはクビを覚悟で上層部の命令を無視し、暴走しちゃうような刑事バカっぷりこそが最大の魅力だったんじゃないでしょうか?

その痛快さは、上層部からの圧力、つまり警察組織における厳しい掟や、絶対的な上下関係があってこそ成立するんですよね。それを無視したらクビになるどころか、刑務所行きになっちゃうかも知れないっていう前提があった上で、それでも正義を貫くからこそヒーローになれるワケです。

ところが第8班の連中と来たら、何のリスクも背負わず、どんな犯罪をしでかそうが誰を殺そうが、最初からオールOKって、どんだけユルい世界やねん!?って話です。

例えば、ライバルが1人も登場せず、主人公がひたすら勝ってばかりのスポ根モノが面白いでしょうか? 例えば、何の障壁も無く、順調に交際して結婚してハッピーエンドになっちゃう恋愛モノを、誰が観たいと思うでしょうか?

障壁を乗り越えたり、時には挫折したりするからこそドラマが生まれるワケで、刑事ドラマのジャンルがネタ切れ状態になっても廃れないのは、「組織」と「法律」っていう、とても明快にして強固な障壁があるからだと私は思います。

『西部警察』以上に荒唐無稽なアクションを描くには、そういった障壁を取っ払うしか無いって、たぶん制作陣は判断されたんだろうと思うけど、ドラマが無ければせっかくのアクションも活きて来ません。

あのジェームズ・ボンドでさえ、組織のしがらみには縛られてますからね。何をやっても許されるような特権の持ち主に、観客は感情移入出来ないですよ。


☆レギュラーキャストの少なさ。

OPタイトルで紹介されるキャストは、前述の渡哲也、舘ひろし、神田正輝に加えて、谷川 竜、加納みゆき、仲村トオル、谷 啓、鈴木瑞穂、秋山武史と、一応9人います。

だけど、まず仲村トオルさんは「捜査第8班」には所属しない本庁の刑事役で、たまにしか登場しないセミレギュラーだし、鈴木瑞穂さんも本庁の刑事部長なんで部外者です。

管理官……というより金庫番の谷啓さんと、PCオペレーターの加納みゆきさんはほとんど現場に出ないし、ヘリのパイロット役の秋山武史さんに至っては「えっ、こんな人、出てたっけ?」って思うくらい画面にはほとんど登場せず、たまに出て来ても台詞は「ラジャー」だけですからねw

つまり、現場で活躍するのは渡・舘・神田・谷川の4人だけ。こう言っちゃ何だけど、新人(当時)の谷川竜さんは顔が整ってること以外に何の取り柄も面白味もなく、ちっとも戦力になってませんでした。

渡さんも最初だけは最前線でアクションを見せてくれたものの、怪我のせいもあって徐々に電話番のポジションに収まってしまい、実質上、舘さんと神田さんが2人だけで番組を支える構図になってました。

チーム物なのに、戦力になり得るのが2人しかいないってのは、ちょっと厳しいですよね。『太陽にほえろ!』や『西部警察』ならば、メンバーの組み合わせによって様々なカラーを生み出し、視聴者を楽しませる事が出来たのに対して、『ゴリラ』には舘さんと神田さんしかいない。


☆『あぶない刑事』は再現出来ない。

けど、明らかに『ゴリラ』は『あぶない刑事』の世界観を意図的に模倣してますから、柴田恭兵さんを神田さんに置き換えた形で良いんじゃないの?とも思うんだけど、そんな簡単なもんでもないんですよね。

『あぶない刑事』の記事に書いた通り、あの番組の成功はあくまで舘ひろし&柴田恭兵の組み合わせによって生まれた奇跡なのであって、あの2人でなければ成立しないんです。

神田さんがどれだけ良い俳優さんであっても恭兵さんの代理にはなれないし、加納みゆきも浅野温子にはなれない。まして谷川竜に仲村トオルの代理が務まるワケもない。

しかも『あぶデカ』そのまんまのキャラクターでトオルさんが出ちゃってるワケですから、なおさら谷川さんの存在が機能しなくなっちゃうワケで……

『あぶデカ』を模倣したのはメンバー構成だけじゃなくて、英語の歌詞による音楽や、オシャレな高級スーツ、遊びで捜査してるみたいな軽いノリまで、臆面もなく「そのまんま」コピーしてました。

けど、体育会系のイメージが染み付いた「石原軍団」には似合わないし、特に渡さんは痛々しいほど居心地悪そうに、私の眼には映りました。あんな世界観、渡さんが好きなワケないですよねw

ついでに言えば、楽曲の出来映えや選曲のセンスも『あぶデカ』より劣ってるように私は感じました。それはたぶん海外のアーティストが器用されたからで、グレードはアップしたのかも知れないけど、日本人が創るドラマには日本人アーティストの音楽(感性)の方がしっくり来ると私は思うのです。要するにアンバランス。


☆食い合わせの悪さ。

『あぶない刑事』のようには行かないにしても、『西部警察』の若手頭=舘ひろしと『太陽にほえろ!』の若手頭=神田正輝の組み合わせは、当時の刑事ドラマファンにとって魅力的だった筈です。

ところが、このコンビがどうもイマイチ、しっくり来ない。『あぶデカ』風のキザな台詞や小粋なジョークの応酬が、ことごとく空回りしてるように私は感じました。

最終回直前のエピソードで、舘さん扮する伊達刑事が余命僅かである事が発覚した時、何も知らされてなかった神田さん扮する風間刑事が「俺たち、唯一無二の親友じゃなかったのかよ?」みたいな台詞を吐くんだけど、すっごい違和感がありましたw

『あぶデカ』の中で柴田恭兵さんが言うなら自然に受け止められると思うんだけど、この『ゴリラ』コンビにそんな熱い友情があったとは、私はつゆとも知りませんでしたw

脚本上にそんな描写が無くても、お互いの事がとても好きで、全面的に信頼し合ってるような空気が『あぶデカ』コンビからは伝わって来ます。その空気感が『ゴリラ』コンビには無かったように思うんですね。何となく舘さんは神田さんを信頼してないし、神田さんは舘さんに遠慮してるような空気を、私は感じてました。

勝手な憶測だけど、舘さんは神田さんのユーモアセンスが好きじゃないんだろうと思います。神田さんのアドリブに一応つき合ってるんだけど、内心は「これはあくまで正輝のセンスであって、俺のとは違うからね」みたいなメッセージを視聴者に向けて送ってるw

で、本来の神田さんなら、それでも構わずにマイペースを貫くと思うんだけど、どうも舘さんに対しては遠慮してる。『太陽にほえろ!』の後輩たちに独自の呼び名(ラガーをラッキョ、マイコンをコンポリ等)をつけ、さんざんオモチャにしてた神田さんとはまるで別人です。

石原裕次郎さんから直々にスカウトされて芸能界入りした神田さんと、渡哲也さんのお人柄に惚れ込んで石原プロ入りした舘さん。別に仲が悪いワケじゃないにしても、同じ会社にいるからこその見えない壁が、あっても仕方ないかも知れません。

そういう事を抜きにしても、「爽やかなサラブレッド」と「不良からの叩き上げ」の組み合わせが、無二の親友みたいな空気を発するのは難しい事でしょう。

銃の扱い方を見ても、見た目の格好良さを優先する舘さんに対して、リアルさを追求する神田さんですから、まさに水と油ですよね。


☆スベりまくるユーモア。

そんな風に、息が合ってるようで合ってない2人が飛ばし合うジョークは、なんだか白々しく感じて笑えない。いっそ犬猿の仲にしちゃった方が面白かったかも?

顔が整ってるだけが取り柄の谷川竜さんも、いくら一生懸命ボケを演じたところで、顔が整ってるだけに笑えない。そもそも、生真面目だけどドジな若手刑事っていうキャラクターが、殺人ライセンスを所有する特殊工作員的な刑事っていう設定と、あまりにかけ離れてます。

朝ドラヒロイン出身の加納みゆきさんも、当時流行りの「翔んでる女」を演じるには、かなり無理があったように思います。あえてミスマッチを狙ったキャスティングだとしたら、大失敗と言わざるを得ません。

谷啓さんは『西部警察』で言うところの「大門くぅ~ん」でお馴染み二宮係長の役どころだと思うんだけど、1人でガミガミ言うだけじゃ持ち味を発揮出来ず、ちょっと気の毒な感じがしました。

挙げ句の果てに、やっちゃいましたからね。例の「がちょ~ん!」を。それを見て喜ぶのは往年のクレージーキャッツファンだけで、やらない方が良かったんじゃないかと私は思います。

『もっとあぶない刑事』でボケキャラがエスカレートし、すっかり頭がカラッポの刑事になっちゃったまま『ゴリラ』にやって来た仲村トオルさんは、どう考えても無意味な存在でした。

渡哲也さんも、控え目ながら「軽いノリ」ってヤツを、毎回のラストシーンで披露されてましたが、やっぱ無理があったように私は思います。そこんとこが、軽妙な芝居も自然にこなせた裕次郎さんとの決定的な違いですよね。


☆石原裕次郎の不在。

今にして思えば、石原プロ最大のヒット番組である『西部警察』にあって、それ以後の石原プロ番組に無いものと言えば、裕次郎さんの存在なんですよね。

あんなちょっとの出番だし、主役は渡哲也さんだから関係無いんじゃないの?って思われるかも知れません。正直なところ、当時は私もそう思ってました。

でも、違いますね。『西部~』があれだけヒットしたのは、渡さんのすぐそばに裕次郎さんが存在したからなんです。もちろん、それは東宝作品の『太陽にほえろ!』にも言える事です。

と言うのも、これはあくまで私個人の感想ですが、『太陽にほえろ!』でドック刑事を演じる神田正輝さんはあんなに魅力的だったのに、『ゴリラ』の神田さんはちっとも良くないんです。

お洒落な帽子とグラサンに高級スーツ、長い後ろ髪、似合わない無精髭、気障な台詞回し、常にくわえ煙草のヘビースモーカーぶり……要するにワイルドな伊達男を演出する役作りが、育ちの良い神田さんにはことごとく似合ってないんだけど、原因はそれだけじゃない筈です。

思い返せば、私が神田さんを魅力的に感じたドラマって、実は『太陽にほえろ!』だけなんですね。『ゆうひが丘の総理大臣』の時も『俺たちは天使だ!』の時も、神田さんには「ごく平凡なイケメン俳優」っていう印象しか私は受けませんでした。

『太陽』の神田さんと、他のドラマの神田さんとの違いって一体何なんだろう?って考えたら、行き着く答えはこれしか無いんです。そう、そこにボス=石原裕次郎さんがいるかいないかの違い。

これはもしかしたら、渡哲也さんにも言える事かも知れません。渡さんも神田さんも、すぐそばに裕次郎さんという太陽がいないと輝けない、月なんじゃないでしょうか?

『ゴリラ』には、舘ひろしにとっての太陽=渡哲也は存在しても、渡さんと神田さんを輝かせる太陽が欠けていた。後は、どんなに光を当てても輝いてくれない谷川竜しかいませんからねw

『太陽にほえろ!PART2』における神田さんが、キャラの被る寺尾 聰さんに食われて存在感が無くなっちゃったって、前に書いた事があります。これも実は、原因は寺尾さんが存在するからじゃなくて「裕次郎さんが存在しないから」だったのかも知れません。

これはもう、理屈じゃ説明のしようがありません。神田さんに限らず、あの作品だと輝いてた俳優さんが、この作品じゃなぜかちっとも輝かない、みたいな例は枚挙に暇なしです。

それは監督や脚本家との相性もあるでしょうが、画面上に見える共演者との相性っていうのは、実は何より影響力が大きいのかも知れません。

石原裕次郎さんが真に偉大だったのは、ご自身のみならず共演者をも輝かせる技量を持っておられたから、じゃないでしょうか?

ついでに言えば、プロデューサーとしての手腕やセンスにおいても、裕次郎さんは天性のものを持っておられたような気がします。経営で頭がいっぱいになって暴走しがちな(そしてドラマ制作者としてはセンスが悪すぎる)小林専務に、ブレーキをかけられる唯一の存在としても、裕次郎さんはなくてはならない存在だったのかも?

『あぶない刑事』の模倣にしても、どう考えたって現社長=渡さんの意向とは思えず、明らかに小林専務(+舘さん?)が番組を当てる為に推し進めた事だろうと思います。そこにはもう、クリエーターとしてのプライドは微塵も無いですよね。100%商売の事しか考えてない、ようにしか私には見えません。

そういうのって、視聴者はけっこう敏感に読み取っちゃうんじゃないでしょうか? 『ゴリラ』が世間から無視された最大の原因は、もしかするとこれだったのかも?


☆ちっとも成長しない谷川竜。

『太陽にほえろ!』でデビューした松田優作、勝野 洋、宮内 淳といった当時の新人俳優さん達は、登場時と卒業時とでは、まるで別人のように見えたもんです。つまり、1年あるいは2年の任期中に、俳優として著しく成長されたワケです。

それに対して、期待の大型新人だった筈の谷川竜さんは、1年後の『ゴリラ』終了時も、続く『代表取締役刑事』でも、さらに続く『愛しの刑事』でも、驚異的なほどに印象が変わらないんですよね。

裕次郎さん亡き後にデビューした石原プロの新人俳優さん全員に言える事だけど、一言、ぱっとしない。選び方が間違ってるのか、育て方が間違ってるのか、私には分からないですが……


☆大味なアクション。

'80年代も後半になると、ハリウッド・アクション映画の隆盛とレンタルビデオの普及により視聴者の眼がすっかり肥えてしまい、物量で見せる石原プロ流のアクションがもはや通用しない時代になっちゃった。

その上、都心部での撮影が規制だらけで、派手なアクションが街中で撮れなくなった影響も大きかったと思います。ハリウッドの刑事物じゃ大都市のド真ん中で、戦争映画並みに派手なドンパチを普通にやってるのに、こっちは隔離された山の中とか造成地でやらなきゃ仕方がない。

『ゴリラ』では当時の流行りだった「サバイバルゲーム」を意識して銃撃戦を撮影したらしいんだけど、残念ながらホントに遊んでるようにしか見えないんですよね。

これらの事情は『ゴリラ』に限らず、日本で「アクション物」というジャンルが絶滅に追いやられて行く、大きな要因になった事と思います。


☆失敗してるからこそ面白い。

しかし、こうして書き連ねてみると、時代の変化の煽りを食らったり、良かれと思って試みた事が裏目に出ちゃったりで、まぁ『あぶデカ』の模倣に走ったのだけは頂けないけど、それ以外の要素は「攻めた」上での結果ですから、決して『ゴリラ』は手抜きや流れ作業で創られた番組じゃないんですよね。

決して駄作でもなければ凡作でもなく、これは「大いなる失敗作」なんだと私は思います。だから今、毎週観てても飽きないんです。昨今の、ただ無難に守ってるだけの番組を観るよりも、果敢に攻めて失敗してる『ゴリラ』を観てる方が、ずっと楽しい。

でも、観終わって「面白かった!」「感動した!」って言えるエピソードがほとんど無いのも、これまた事実なんですね。そのままじゃマズいって事で、『ゴリラ』は中盤以降、180度転換!と言っても過言じゃない程の、大きな路線変更を図る事になります。

アクション一辺倒だったこの番組に、人間ドラマの権化とも言うべき、あのクリエーターが助っ人としてやって来るのでした。

(つづく)
 
 

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3 コメント

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Unknown (適当谷損気)
2020-07-02 19:03:55
どうもです。相変わらず小説書いている適当谷です…実は今、今までの数倍近いボリュームの作品に取り掛かっているのですが、果たしてどうなることやら。
>>『ゴリラ』では当時の流行りだった「サバイバルゲーム」を意識して銃撃戦を撮影した
ある方が「西部警察がもっと銃に拘っていたら世界出れたんじゃないの?」と言っていましたが…西部署のドンパチが超大味(ショットガンで狙撃とか)だったのに比べれば、ゴリラは結構拘っている印象なんですけどね(その代わり?カースタントは若干レベルダウンしたっぽい…)
1話のフィリピンでの実銃ドンパチに限って言えば、西部署を超えていたと思います。

それと関係ないですが、銃撃戦と言えばこんな映画が↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/689116/blog/23334100/
こういう風に「(無理やり)日本っぽく見せた場所で実銃使ってドンパチ」というのも奥の手の一つだったような気がします。
まぁどっちにしても無茶ですかね…。

乱文失礼いたしました。
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Unknown (harrison2018)
2020-07-02 23:23:18
『ゴリラ』はブローバックはちゃんと見せてましたが、銃撃戦の見せ方(演出)自体は「やたら撃ちまくるだけ」で『西部警察』から進歩してないと私は感じました。その点では(弾数は少ないけど)『太陽にほえろ!』が一番しっかり出来てたように私は思います。
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Unknown (永山修一)
2022-01-16 13:59:47
これが失敗した理由は、この時代はすでに刑事ものといえば「はぐれ刑事純情派」や「さすらい刑事旅情編」があり、そっちのほうに人気を取られてしまっていました。
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