自由奔放なキャラクターと脱ぎっぷりの良さで人気を博した、太地喜和子さん。『太陽にほえろ!』でも屈指の……っていうか『太陽』の限界を超えたセクシーショットを見せてくれましたw
何しろ、ボディーガードとして泊まり込む山さん(露口 茂)に着替えを手伝わせるわ、黒い下着姿で足を組んで見せるわ、シャワールームの磨り硝子越しに全裸を見せつけるわ……
そんな太地さんのセクシー攻撃に、全くビクともしない山さんがまた凄い!w 山さんは果たしてゲイなのか修行僧なのか!?
そんなワケありません。山さんに太地さんのセクシー攻撃が通じないのは、かけがえのない愛妻=高子(町田祥子)がいるからです。今回、メインゲストは太地喜和子さんだけど、真のヒロインは初登場の山村高子=町田祥子さんなのです。
☆第11話『愛すればこそ』
(1972.9.29.OA/脚本=永原秀一&峯尾基三/監督=金谷 稔)
かつて成金ヤクザと浮気した妻(太地さん)を殺そうとして、山さんに逮捕された男(郷 英治)が刑期を終えて出所します。男が再犯を目論んでるのを察知した山さんは彼をマークしますが、そんな折に心臓病を患う妻=高子が発作を起こし、緊急手術を受ける事態に。
ボス(石原裕次郎)はすぐ病院に行くよう促しますが、山さんは頑として任務を遂行、代わってマカロニ(萩原健一)が高子に付き添います。
最終的には、やはり妻を殺しに現れた男を山さんが食い止めるんだけど、その際にこんな台詞を言うんですよね。
「俺はお前のことが好きなんだ! だから人殺しだけはさせたくない!」
これは山さんがゲイだからじゃなくてw、妻を愛すればこそ殺意を抱く男に対して、同じ愛妻家として山さんはシンパシーを感じたんだろうと思います。
山さんは張り込みの途中で高子のことを想い、そのスキに巻かれちゃうという失態も冒してる。愛すればこそ妻の無事を信じ、あえて病院には駆けつけなかった……のかも知れません。
今回のところは高子が無事に回復し、結果オーライ。事件解決後、ようやく病院に駆けつけた山さんと高子の会話に、私は胸が熱くなりました。
「いつまで経っても、いい亭主になれそうもないな」
「じゃあせめて、いい刑事になって下さい」
今どきの若い夫婦だったら有り得ないですよねw 自分を仕事より優先しない夫を妻は許さないだろうし、そもそも夫はすぐに任務放棄して病院へ行くでしょうから、こんなドラマは成立しません。どっちが良いとも悪いとも言えないけど、とにかく’72年当時の日本だからこそ成立したストーリーだと思います。
いや、当時の若者であるマカロニがすでに、山さんの行動を全く理解してないですからね。私だって、山さんの立場ならすぐ病院に駆けつけるだろうと思います。
そのマカロニですが、今回も驚異的な惚れっぽさを発揮します。高子を看病しながら、なんと彼女と公園で恋人どうしみたいにじゃれ合う光景を妄想してしまう! 大先輩の奥さん(ゆえにずっと歳上)なんですよ?w
これはもしかすると、本来マカロニは亡き母親の面影を高子に見る設定だったのに、ショーケンさんが「やだ。俺はマザコン坊やじゃない!」ってダダをこねて、恋人風の演出に変えちゃったのかも?
いずれにせよ、高子とお揃いのスカーフを巻いて公園を駆け回る、スローモーションのマカロニは実にシュールでした。現在ならギャグにしかならないでしょうけど、昭和が背景だと何だか切なさがこみ上げて来ます。
あるいは、高子を演じる町田祥子さんの清楚さが、マカロニの純真さと化学反応を起こした結果なのかも知れません。
そんな町田さんの対極に存在するのが太地喜和子さんですよねw 夫の服役中にまんまとパトロンを見つけ、腹違いの妹を女中扱いしながら贅沢三昧。そんな典型的アバズレ女を、太地さんは実に楽しそうに演じておられます。
刑事側の心情しか描かない『太陽』においては、このテの敵役は薄っぺらくならざるを得ないんだけど、太地さんが演じると人間味を感じるんですよね。彼女が何故こんなアバズレになっちゃったのか、その背景が(脚本に描かれなくとも)何となく見えて来る。
そこはやっぱり、文学座で「杉村春子二世」と評された、太地さんの実力なんだろうと思います。役者の力ってのは本当にデカい!
なお、これより数年後、山さんに再び同じシチュエーションが巡って来ます。高子が発作を起こして危篤状態なのに、山さんは犯罪阻止を優先しちゃう。その時も山さんは高子の無事を信じるんだけど、結果は……(第206話『刑事の妻が死んだ日』)
それを踏まえた上でこの第11話を観ると、余計に熱いものがこみ上げて来ます。
その後に山さんがマカロニに「マカロニ、有り難う」と言うシーンに胸が熱くなりました。
ほんの短い台詞なんですが、何故かジーンと・・・