自分以外の人が好きな映画も観てみようシリーズ第2弾。例のPOPEYE誌で「ぱいぱいでか美」さんが紹介されてる2008年公開のスウェーデン映画『ぼくのエリ/200歳の少女』、トーマス・アルフレッドソン監督作品です。
これは公開当時から気になってました。が、アート系の匂いがするし暗そうだし、バッドエンドの予感もしたんで敬遠してました。でも、観て良かったです。
母親とアパートで二人暮らしの内気な少年=オスカー(カーレ・ヘーデブラント)の隣室に、顔色の悪い少女=エリ(リーナ・レアンデション)が引っ越して来ます。
どうやら同い年らしく、学校に通わないエリと、学校でイジメの標的にされてるオスカーは、独りぼっちどうし仲良くなり、惹かれ合うようになります。
が、その時期を境に猟奇殺人事件が町で頻発します。犯人は、エリと一緒に暮らす父親らしき男。彼は殺した相手から血を抜き取り、エリに与えていたのでした。
そう、エリの正体はバンパイヤ。だけど好きになっちゃったもんは仕方がない。エリに背中を押されてイジメっ子を撃退し、ちょっと強気になったオスカーは、彼女を受け入れます。
ところが! エリの父親らしき男が採血に失敗して自ら命を絶ち、彼女は自分で獲物を狩らなきゃいけなくなる。当然、すぐに正体がバレて町にいられなくなっちゃいます。
エリが姿を消し、心にぽっかり穴が空いたオスカーのところに、イジメっ子の兄であるチンピラが報復にやって来ます。まだ12歳のオスカーがチンピラに太刀打ち出来る筈もなく、あわや殺されそうになったその時……!
以下、色々ネタバレがあります。
まず私が思ったのは、これは究極の純愛ストーリーだなってこと。オスカーがエリの着替えを覗いて驚くシーンで、エリの股間にボカシが入ってるんだけど、これはどう考えてもポコチンが付いてるってことでしょう。でなきゃわざわざ見せる意味がない。(だからここにボカシを入れちゃう配給会社の配慮も全くもってナンセンス!)
そもそもエリ自身も「女の子じゃない」って言ってたし、でもたぶん男の子でもない、性別の観念に収まらない存在なんだろうと思います。で、しかも吸血鬼。
それを知った上でオスカーはエリを受け入れ、一緒に生きていく覚悟を決めるワケだから、これは究極のプラトニック・ラブ。
その先に何が待ってるかと言えば、たぶん自ら命を絶ったオジサンと同じような末路なんですよね。実際に200歳なのかどうか判らないけど、エリは遠い昔からずっと少女だったらしく、たぶんオジサンも彼女と出逢った時はまだ少年。当然、父親でも何でもない。
ここまでは私自身で気づいたこと、感じたことだけど、ぱいぱいでか美さんは更に、本作を「共依存」のドラマだと解釈されてます。つまりお互い、自分がいなきゃ生きていけない相手がいることに、自分自身の存在価値を見いだしてる。裏を返せば両者とも自立してないワケで、一般的にはネガティブな関係と捉えられがち。
だけどぱいぱいでか美さんは、二人の関係を「どこか美しいと感じる自分もいて」「破綻していても絶対的な存在がいる方が幸せかも?」って語られてます。
私も同感です。他人を殺さなきゃ生きていけないってのは相当ハードな人生だけど、人間以外の生きものなら我々はバンバン殺して食ってるワケで、それを不幸だとか罪悪だとは言い切れないですよね。
つらい事だけど、その苦しみを分かち合える相手がいるのは、やっぱ独りぼっちよりは嬉しいことです。私はいつも「孤独でなにが悪い?」みたいなこと書いてますけど、そりゃパートナーはいるに越したことない。本当に心底から尊重し合える相手がいればの話だけど。(現実にそんな夫婦やカップルは存在しないだろうとも思ってます)
もう1つ思ったのは、どちらかと言えば女性寄りであるエリ(つまりメス)に、死んだオジサンやオスカー(つまりオス)が人生を捧げるのは自然(動物界)の摂理かなと。しょせん男は働き蜂なのです。
もちろんホラー要素ありのボーイ・ミーツ・ガール物として楽しむのも有りだけど、なにせエリは推定200歳だから内面はチョー熟女。オスカーのママの存在が作品内でやけに影が薄いのも、意味があっての事かも知れません。
そんなワケで、粗筋だけ読むと荒唐無稽だけど、観れば色んなことを考えさせられる深い作品です。やっぱさすがはヨーロッパ映画!
それをハリウッドでリメイクしたらどうなるか? 既に『モールス』のタイトルで2011年に公開されてるんですよね。しかも主演は『キック・アス』のクロエ・グレース・モレッツ! 観るしかありません。
もともと私はクロエさんが出演しておられるリメイク版『モールス』を先に知ったのですが、リメイクを観る前にオリジナルを先に観るのが筋だろうと、『ぼくのエリ』を観たのでした。
私にとっては、いろいろ考えることが多い、想像が膨らむ映画でした。
『モールス』のクロエさんも、魅力的です。ぜひお楽しみください。
あのボカシは創り手の意図を踏みにじる愚行であるのは間違いないけど、我々の想像力をさらに掻き立てるという怪我の巧妙はあったかも知れません。エリの「女の子じゃない」って台詞が「本当は老婆なの」っていう意味で、ふつうに女性器が映ってたのかも知れないし、いろんな解釈が出来ますよね。
来週のお題は『モールス』に決定です!
創り手の意図を尊重するなら観るべきなんでしょうね。それが本来の形なんだから。でも、迷うなあ……