屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

はりゅう船は”貸切”

2011年02月25日 | 沖縄


”はりゅう船”に乗ってしまった。
目指すは真栄田岬、絶好のスキューバーダイビングポイントとか・・
なんと客はわれわれ二人だけであった。
完全な貸切である。

岸壁に大きな穴がいくつかあいている。
船頭さんの話しでは、
太平洋戦争の末期、米軍はここ恩納村の浜辺から上陸したということだ。
もしかして艦砲射撃の跡かもしれない。



そろそろ岬だが、
中央部のガラスの船底を見ていたら大きな魚影がぬっとあらわれた。
ジョーズか。(さすがにそれはナイ!)



あっ、さかながたくさん!すごい!すごい!



はりゅう船に乗って魚を見に行こう!

2011年02月24日 | 沖縄


おお、ベランダからみていると東シナ海は幾重にも色が重なってみえる。
これぞ南国の海なんだね。

でも、ビーチまでくると早くも妖しげな雲がでてきた。
おやおや天気予報のとおりか・・
これからどうするか、辺土岬まで走るか、
それとも美ら海の水族館のジンベイザメに逢いに行こうか。





”はりゅ船”が軽やかに波をきっていた。
あれに乗って真栄田岬までゆけばサンゴ礁に棲む魚が見られるらしい・・
よしこれに決めた!
「雨が降れば途中で戻るかもしれませんよ」
そんな説明のさなか、突然のスコールがきたので思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
でも、すぐやみそうだ。


斎場御嶽から久高島をながめる

2011年02月23日 | 沖縄


港川人の石棺が発掘された武芸洞・・
人骨の体長は約150センチとか、港川人(男)の平均身長であるそうだ。

旧石器時代に続く縄文時代の人骨はほりのふかい顔立ちで、小柄のがっちりした体格である。
港川人は縄文人とほぼ同様の特徴をもっていることから、
現在もっとも確実な日本人の祖先として位置づけられている。


ガイドさんの説明さなか、
好奇心旺盛な子供がなんども質問するものだから、
お母さんはたまらず、”シー”・・

大きなガジュマルをみて、
「ブロントサウルス(大型の草食恐竜)にそっくり!」と叫んだ少年にとって、
太古の歴史は夢であり憧れなのである。



斎場御嶽は琉球王朝最高の霊地である。
御門口から奥にはノロ(女司祭)やユタ(女霊媒師)などの神女が取り仕切る神域なので、
当時は男子禁制(首里王 以外)であったらしい。



人という字にみえる大きな岩をくぐると、
うっすらと久高島がみえる。
久高のノロは琉球最高位の地位を占める神女ということで、
久高島は最も神聖な島なのだ。




ガンガラーの谷は元始の谷

2011年02月22日 | 沖縄


沖縄へ行ったとき、
”ガンガラーの谷”のツアーに是非参加したいと思っていた。



「ガジュマルは歩きます」
「ええ?」
「垂れ下がる気根が地面に付くと根となり徐々に位置を変えていくからです」
「なるほど!」



鍾乳洞が崩壊して出来たガンガラーの谷の奥深く未開の森がひろがっている。
ガジュマルの木々がたくましく根をはって伸びてゆくさまは、まさに元始の谷であった。

この森で港川原人の人骨が発掘された。
約1万8000年前の旧石器時代・・
日本最古の原人は確かにガンガラーの谷で生きていたのである。



洞窟探検にカンテラは必需品だ。
洞窟の入口近く、天井部分の岩陰に小さな蝙蝠を見つけた。
といってもガイドさんが教えてくれたのだが・・

ガジュマルの気根が幾重にも絡み合って太くなっている。
何年か何十年かたつと、このあたり一帯はガジュマルによっておおわれることになるだろう。


古宇利島を一周した

2011年02月21日 | 沖縄


昼食は「花月」の”嵐げんこつラーメン”にした。
有名なのは沖縄そばだが、ラーメンだって意外?と旨い。
日ハムファイターズがキャンプしている名護は混雑していた。
斎藤祐樹選手の人気はすごいね、本番でも活躍してほしいものである。

古宇利大橋を渡って古宇利島を一周・・
島は素朴な離島そのまま、観光客がいなくていいなあ、
きれいな砂浜をひとり占め!

円筒状空洞地形群の奇岩・・





今帰仁城跡に着いたときはそろそろ暗くなってきた。
一般的なイメージのお城とはちがって、最初みたときはグスクの石積みに驚いたものである。
八重山桜の背景が今帰仁の城郭。



ビオスの丘 カワセミと合う

2011年02月20日 | 沖縄




やあ、いい天気だよ・・
そうだ、これから”ビオスの丘”へ行ってみよう!



ビオスの丘はランの花で飾られていた。
でも、ここの園内は船でまわるほうがいい、
大げさなドラの音に送られながら、しずしずと船は桟橋を離れる・・

「あれっ、カワセミだ!」
夢中になってシャッターを押したが、普通レンズなうえ被写体が小さくて、
画像をトリミングしてみたが、どれもピントがずれていた。
でも、はじめてカワセミをみられて嬉しかった。

白鷺が悠々と水面を滑走している。
のどかな風景である。




沖縄は五回目・・

2011年02月19日 | 沖縄


大雪の北海道から逃れて?
沖縄へ・・
那覇の気温は14度、風が強くてまわりの人は寒そうだが、
札幌と比べれば、これでも暖かいくらいである。



恩納村の”ルネッサンスリゾート”が定宿である。
八階の部屋に入ると皿盛りのフルーツがサービス?、これはスターフルーツとか。
切ってみたら、まさにきれいな星型であった。
ジューシーな味というが、わたしは食べなかったからわからない。

ベランダから夜のプライベートビーチを眺めていた。
白波がみえる、明日は天候が回復することを期待して!

沖縄キャンプの中日ドラゴンズの選手が泊っている。
エレベーターのなかで和田選手をみかけた。


沖縄第五日目 喜屋武岬~札幌へ 

2009年02月08日 | 沖縄


1月29日・・
ルネッサンスリゾート~喜屋武岬~具志川城~琉球ガラス~パイナップルハウス~沖縄空港=新千歳空港

喜屋武岬は沖縄本島の最南端・・
東シナ海に面する静かな岬で、沖縄戦跡国定公園に含まれる。

ここには沖縄戦で犠牲になった住民、軍人合わせて1万人の霊を弔う「平和の塔」が建てられていた。

その碑文に・・

「昭和二十七年十月地元民は将兵並びに戦闘に協力散華せる住民の遺骨併せて一万柱を奉納し
平和の塔と名付けしがこのたび南方同胞援護会の助成を得て新たに塔を建てその遺烈を伝う」


わたしたちはこの平和の塔に黙祷を捧げた。



岸壁には花束が置いてあった。
きっとこの岬で亡くなられたご遺族のかたが供えたのだろうと思う。

 一万の御霊よあわれ泣き濡れて喜屋岬に花を捧げよ         春

沖縄南部は太平洋戦争の悲劇が凝縮した地域であった。
「ひめゆりの塔」はここからすぐ近い、
どんな方でも、涙なくして彼女たちの記録を読むことができないと思う。



実際の最南端は荒崎だという・・
向こうに見えるのがそうかもしれないね。



具志川城、
久米島具志川城主の「真金声按司」が久米島の城を追われ、ここに築城したと言われている。
いま復元工事の最中であった。



琉球ガラスで数々の作品をみせてもらって、こころが満足・・
美しい箸置とパイナップルをひとつお土産にいただいたので、
さあ、冬真っ只中の札幌へ帰ろう!



沖縄第四日目その3 サンセットクルージング

2009年02月07日 | 沖縄


真栄田岬に夕陽が沈む・・
そんなことで、ルネッサンスリゾートから出航、サンセットクルージングを楽しむ時間である。
「海上は寒いから、厚手の服を着込んでください」といわれたが・・
風もなく波は静か、
寒いといっても六月の積丹カレイ釣りのときと同じようなもの。



子供たちは元気がいい・・
舳先のマットに寝転んですっかりクルージングを満喫している。
ほれあそこに見えるのが、ルネッサンスリゾートだよ。



三月になると、夕陽は真栄田岬のほうに沈むのだが、
いまはかなり内陸に寄っていた。


沖縄第四日目 美ら海でジンベイザメと逢う

2009年02月05日 | 沖縄




1月28日・・
ルネッサンスリゾート~美ら海水族館~フルーツランド~サンセットクルージング~ルネッサンスリゾート

「美ら海水族館」へ・・
これで三度目だね、ここへくるのはジンベイザメと逢いたいがため、
何度きても飽きることはない。
はじめてみたときのあの異様な感動は薄れたが、
このゆったりと泳ぐ大きな魚にいつも魅せられる。







大水槽のアクリルパネルの厚さ60センチだよ。
これだけの水圧を支えるのだから、どうしても必要な厚さなんだろうね。