2009年1月9日付き「タラバ蟹」へ”さわさん”からコメントもらいましたが、
そのときは、わたしも西勝君もお兄さん(砂子田さん)とクラスが違ったので「天邪気」というノートのことはわかりませんでした。
卒業アルバムを見ると、たぶん短期間でしたが新聞部(顧問は吉田先生)で一緒だったことがありました。
前列右から二番目がわたし(種田)です。
昨年(2020年)はわたしたち第10期の卒業60周年にあたり、記念誌の代わりとして各地区の同期会や修学旅行の思い出など「映像で見る60年ののち」のタイトルで共有アルバム(グーグルフォト)を作成しました。
そして、アルバムの共同編集者・菊地君(砂子田さんと同じ3組)から、さわさんお尋ねのノートについて新しく情報を得ることが出来ました。
「さんさんだより 号外報」の下記画像も菊地君から頂いたものです。
3組にあった回し書きノートのタイトルは「餓鬼」です.この落とし子が1964年から3号まで続いた「さんさんだより」です.(3組 菊地)
号外報!!の文中のI君および文末の(I)とあるのは,砂子田君です.この文は砂子田君が書きました.(3組 菊地)
あらためて読み直してみました。砂子田君を偲ばせる文章で懐かしく!また、則末君の新婚生活をお邪魔したかった?(3組 片脇)
砂子田さんは西勝君や3組のクラスメイト(菊地君、片脇君、則末たち)から信頼されていたことがわかります。
さわさん!
「映像で見る60年ののち」のリンク先をお知らせしますので、コメントを頂けたら嬉しいです。
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