「縄文のビーナス立像」(模)と蘭の切り花を活けた「花瓶」は宝塚M夫人制作
「大村正次」は明治29年(1896年)富山県東岩瀬(現富山市)に父松次郎、母キヨの長男として生まれる。大正5年(1916年)富山師範学校を卒業、同年東岩瀬尋常小学校の訓導(くんどう・旧制度の教員の職名、全教科教えられた。)を以て社会へ一歩を踏み出し、6年間教壇に立つ。この間同僚で新庄村(東岩瀬の神通川を挟んだ西側対岸にある。)出身の金岡キクと職場結婚した。(道正弘著「日本海詩人」主宰者 抒情詩人 大村正次より抜粋)
妻キクについては、道正弘著に「名門出身」とあり、「金岡姓」としては北陸財界屈指の名門(元々は薬種商、初代又左衛門は明治30年に水力発電による富山電灯株式会社を興した。)であり、その一族に繋がる者と仮定した場合に、経済的にも恵まれていたのではないか、と想像した場合、明治後期~大正初期に女性ながら師範学校で学んだということも理解できる。(金岡家は富山県民会館分館として今も新庄町に残る。)
キクは「大原菊子」のペンネームで「日本海詩人」に詩を発表しており、収集した資料のなかに大村夫婦の詩が並べて掲載されていた。(12月15日「屯田物語」)
摂津国の怪人
朝日の裏庭で
鑿をうつ音がする
何かしら働きたいと
はだして水を汲んでゐる。
朝の教室の
白いカーテンの
ちょっとの隙間をみつけて
朝日がのぞいてゐる。
みんな美しいお下げなので
どの眸もよろこびに輝いてゐる。
ゆふべないてゐた未亡人が
けさ、朝日のなかで
子を背負ひ乍ら
せっせとあらひものをしてゐた。
上手く纏めて頂いた春さんの手腕に感謝します。
詩集のセピア色がなんとも言えない時代感を醸し出しておりますし、蘭の色合いと対照的で良い出来具合かと思います。有難う御座います。
M夫人の陶芸がよかったですね。
花瓶に朝日があたっているようで、大原菊子さんの詩の雰囲気に合っていると思いました。