HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

7月の不妊治療報告② 運命の採卵日決定!

2007-07-26 21:46:40 | 不妊治療報告
7月の不妊治療報告① の続き

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さて、今後の難関

1.無事採卵できるか?
2.パートナーの凍結された精子は解凍後使えるのか?
3.無事授精(顕微授精)できるのか?
4.胚移植後着床するのか?
5.それらが維持できるのか?

大きく考えるとそれくらいかな?
まだまだ小さな問題点はあるとして、少しずつですが、前進しています。

さて、採取する卵は出来た。わけで、HMG注射後何をするかというと、25日(水)の診察で二日後の27日(金)に採卵できることが決定。
何が基準かというと、数は早々に分かっていたけど、卵の大きさです。
23日では、18ミリでしたが、本当は20ミリぐらいは欲しいです。
で、25日(水)には20ミリになっているということで、金曜日決行!!

ドキドキです。

25日(水)夕方診察後、18:00に最後の点鼻薬(排卵を抑える薬)をし、この日の20時にHCG(排卵誘発剤)を打ちます。
なぜに20時か?
この注射を打ってから36時間後に排卵するので、ちょうど27日(金)朝に手術ができるというわけ。
なるほど!

で、夕方から注射時間まで松阪で時間を潰して、救急外来でHCGを打って家に帰りました。

さて、本日26日(木)は久々注射も病院もない日。
しかし、21時以降は絶食。24時以降は水分を取ってもダメ。
手術までお腹に何も入れてはダメです。

昨日先生に釘をさされました。
「21時以降食べたり、24時以降水分をとったら、金曜日は麻酔無しでしますから。手術中嘔吐して、気管がつまるといけませんからね」

私が、前回痛みに弱いことを知ってクリック)、先生は笑いながら(←めったに笑わない先生なので珍しい)そう、言っていました。
気をつけよう。

そして、明日27日当日ですが、朝の7時にARTに行かなくてはいけません。
早いです。
6時過ぎには家を出ないと…。

手術室の入口の靴箱

私一人で行きます。
行きは車で行くけれど、麻酔をするので、帰りは車を運転してはダメといわれています。
だから母に電車で来てもらい(駅裏だから近い)、帰りの車は運転してもらう予定です。
パートナーは、こんな日に限って、研修で仕事は休めないらしい。
うちは精子を凍結してあるので、問題ないですが、パートナーが一緒にきて、別室で精子を採取するという方もみえます。

当日朝は、シャワーを浴びてくるように。
化粧(すっぴんです)、マニキュアはダメで。手術中はコンタクトもダメ。

病院についたら、手術衣に着替えて、点滴し、静脈麻酔をかけます。
採卵は7時40分から。

手術時間は10分やそこららしいけど、終わってから麻酔が覚めるまで3~5時間は安静にしておきます。

今回はパートナーはいないけど、もし、パートナーがいても、私が休んでいる「回復室」には入れません。


回復室はこんなところ

そして、無事授精が確認できれば、2~3日後私に胚移植です。

実は、手術室に入るのは生まれて初めてです。
今からドキドキ。
大丈夫かな?

手術室、回復室へ繋がる廊下

あ、今説明書類を読んで気づいた。
麻酔する前に、消毒・洗浄する…。
ああ、ヤダ。
これが一番痛いのに…。
麻酔してからにしてもらえないかな?

この間のプチッ事件の自分の痛みの弱さを思うと、半日で本当に回復するのだろうかとかいろいろ考えて、不安に思いますが、これを越えないと前には進めません。

がんばってきます!!


では、これらの報告は後日ということで…。

7月の不妊治療報告① HMG注射の日々

2007-07-26 17:58:33 | 不妊治療報告
今月もみなさんがお楽しみ?にしている不妊治療報告をまとめてしてしまっていますが、本当はまとめるのがオシイくらいいろいろあるんです。

前回どこまで話が進んでいたかな?
 (クリック)
そうだ、そうだ。病院で友人と会ったんだった。
で、その後、薬を服用し、月の半ばに生理がやってきました。
そういえば、ここ最近ですが、薬のおかげで生理が1ヶ月に2回もきています。
20日サイクルです。(ありえない…

さて、生理が始まって、3日目から恐怖のHMGホルモン筋肉注射(卵胞を成熟させる)です。
できる限り地元伊勢の本橋産婦人科で打ちつつ、3日に一度松阪の済生会病院ARTにて診察です。
ざっと、14日(土)~24日(火)まで10日間打ち続けました。
その間も点鼻薬を朝晩欠かさず服用?

ARTに行く日には、採血もするので、この10日間腕に何度針を挿したことか?
といっても、基本的に注射がニガテと言うわけではないので、採血のときもいつもしっかと針の穴から挿すところまでをじっくり見ています。
私この間発覚したのですが、血管細いみたいです。
採血のとき、普通の注射針でするときと、針からチューブが伸びていて、採血するパターンと両方していました。
チューブの方は血管が細い人用なのだそうです。

さて、注射の流れをまとめると、

14日(土) 本橋産婦人科
15日(日) 本橋産婦人科
16日(月) 本橋産婦人科
17日(火) 本橋産婦人科
18日(水) ART
19日(木) 本橋産婦人科
20日(金) ART
21日(土) 本橋産婦人科
22日(日) 本橋産婦人科
23日(月) ART
24日(火) 本橋産婦人科



という具合のサイクルです。
毎回土日が本橋さんでゴメンナサイ。ムリきいてもらています。

いつも、仕事を終えてからダッシュで向かったり、ARTの時は(松阪なので)仕事をフライング(2時間前)気味切り上げたりです。
週末は、先生の都合に合わせ、夜な夜な注射にいきました。

本橋さんとARTを交互に行ったりすることもあったので、車を走らせながら、フト、今日はどっちの病院に向かっているのか?と頭が混乱しているときもありました。

この数日間通って思いましたが、仕事しながら不妊治療って相当大変だということ。
注射が痛いのはもちろん、そこへ毎日通うことの大変さ。
私は、融通のきく仕事で、自分で調整しながら時間をつくるけれど、普通勤めの会社では、よっぽど理解のある会社か、そうであったとしても、一緒に働く人たちの理解がないと、なかなか会社を早退とかやりにくいですよね。

会社を辞めるか、不妊治療をやめるかの選択がよぎります。
一度統計とってみたいね、不妊治療するどれだけの割合に仕事している女性がいるのか?
または、不妊治療をやめた理由はお金や将来的観測の問題だけでもなさそうな気がします。

そんなことを考えながら通った10日間。
前回は、不揃いな卵が3つぐらいしかできず、見送ったけれど、今回は、なんとなんとか7個確保できそうです。
先生曰く、採卵するまで、いくつ取れるか分からないよ。とのことですが。
とりあえず、取る候補は7個です。

実は、この注射している期間、16日の夜から、体調が崩れ始めて、翌日吐いて、一日ダウン。
その後も大丈夫と思いきや、21日、22日と吐き気が…。
注射にそのような副作用はないので先生曰く、「疲れやに、働きすぎ」と言われました。
確かに、21日はお木曳川曳きで記録していました。
ま、ムリをしてはいけないといことです。

ばりふり奉曳お疲れさん交流会

2007-07-26 12:33:55 | お木曳き・式年遷宮
いいかげん更新しないと、本当みなさん離れてしまいそうです。
反省。
今月半ばは、イベントセンターの総会が立て続けにあり、おまけに台風がきたり、体調崩したり、川曳きがあったり、なんせ忙しかったわけで…。
と、いいわけです。

いろいろ報告せねばならないことがたくさんあるのですが、何からオハナシしましょう?
とにかく台風一過の15日に行われた「ばりふり奉曳 お疲れさん交流会」の報告をしましょう。

かんぱーい!!

この交流会、5月6日の一日神領民ばりふり奉曳に参加したみなさん、ボラティアの方々、当日は雨でなかなか交流をもてなかったけど、改めて、交流したい!!と声が高まったので、行いました。

確かに、感動もどこへやらというように、ちらばってしまってましたから…。
私たちもなんだか、このままじゃ終わらせられないよね~って思っていました。

で、交流会の内容は


13:00   開会挨拶
      乾杯
13:10   NEWS報道放映上映
13:30   ミニミニ奉曳車 奉曳体験
      馬瀬町奉曳団木遣
      宮崎連合木遣
      交流歓談
14:10   アンケート報告
      参加者たちの声
      ディスカッション
15:00   長尾正男さん ばりふり奉曳上映
15:30   挨拶



と、いった流れを軽食のサンドイッチやお菓子、ジュースなどをいただきながらみなさんで交流してもらうというもの。
会場は伊勢の市民活動センター北館いせシティプラザ

前日までの台風4号にハラハラさせられながら、直前までさまざまな方に「台風来るのに、ホンマにやるのか?」
と、言われつつ、台風が過ぎ去ることを祈りつつ、当日を迎えました。

集った人数は60名ほど。
遠くは大阪、名古屋からも来てくださいました。
明け方まで台風は残っていたのに…。
ありがとうございます。

協力(強力)メンバーとともに事前準備をし、無事交流会を終えることができました。
みなさん、ありがとうございました。

NEWSなどの報道ビデオはみなさん、自分が写っていたり、インタビューされていたりすると、恥ずかしがったり。
アンケート報告と参加者たちの意見や感想では、みなさん、参加者、ボランティアともに生の声が聞けて、なんだかあらためて、ばりふり奉曳の意味や、その輪郭をなぞれたようで、とてもうれしかったです。

 
 
手話通訳&要約筆記で聾者も参加しましたよ

長尾監督の映像も、真髄をついていてみんなのうなり声がきこえるようでした。



また、奉曳当日手伝ってくれた馬瀬町奉曳団と宮崎連合のみなさんも来ていただき、木遣を披露
館内に素敵に響いていました。
視覚障害者の方々も、当日のことを思い起こしていたようです。

実は、馬瀬町奉曳団は一日神領民のお手伝いのなかでも「ばりふり指定」で来てくれていたのです。
交流会で、どうしてこの日の「ばりふり指定」してくださったのか?聞いてみました。
すると、これからの高齢者社会、障害者への祭りの参加をどのようにしていくのか?自分たちの団での参考にもなればということももちろん、それらの活動の役に立ちたいという強い思いからお手伝いに来てくださったそうです。
それに、団の中でも青年層が厚かったんです。
お姉ちゃん、お兄ちゃんと楽しく曳く参加者も多かったですからね。

団長曰く、これからこのような意識を若者たちにも引き継いでいってもらいたいから…ということも考えて、青年団(今年から発足されたらしい)のみんなを入れたようです。

宮崎連合も奉曳前日に連絡をしれたとき、もっと人がいるようなら増やしますと、当日参加の方もいてくださったり、こうして人を集めることの大変さを知っているだけに、モチベーションを上げるための説明がとても上手いんだと思いました。

みなさんのバリアフリーへの意識の高さは伊勢の中でもピカイチです。
本当にありがとうございました。
話を聞いていて、うれしくて涙が出そうになりました。

そして、そして、この時に私の家、3軒隣のYさん(当日もボランティアで参加してくれました)手作りのミニミニ奉曳車を曳き、前日の台風の湿気のおかげで上手くワン鳴りしなかったけど、みんな、ミニミニ奉曳車の前で記念撮影したり、視覚障害者のみなさんは触って形を確かめたりしていました。



ミニミニ奉曳車は大人気でした

本当に今回の交流会もみなさんの助けがなければ出来ないことでした。

ばりふりお木曳のコアメンバーと、交流会のお手伝いメンバーたちです

次に繋がる、一歩として、とても素敵なひとときがつくれたと思います。