HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

鳥羽東中学校職業体験実習でツアーセンターの将来を考える(長文)※写真追加

2008-11-21 22:52:11 | バリアフリーツアーセンター
地元鳥羽東中学校の職業体験学習を11日(火)12日(水)の二日間受け入れました。
実は、センターではあまり、こういったインターシップ的なことは受け入れていないのですが、今回東中の肢体不自由な生徒であるということもあり、将来の仕事にこんな選択もあるんだということを知ってもらいたいこと、また地元でこんな活動があるんだということを体験してもらいたいこともあり、喜んで受け入れました。

女の子二人。歩行器を使用するYちゃんと、お友達のMちゃん。

二人とも、不安や緊張でいっぱいの一日目だったことと思います。
Yちゃんは小学校のときに会ったことあるのですが、かわいらしいお姉さんになっていました。
Mちゃんは、さすがYちゃんのお友達で、とても気の付く女の子。
なかなか、センターで働くにはもってこいのコンビです。

初日の午前中は、ツアーセンターのレクチャー。
どんなことをするのか?何を目的としているのか?どんな思いでこの活動を続けているのか?という例のごとく私の熱い思いをやわらかく?伝えました。
また、バリアフリーという視点だけでなく、鳥羽に初めて降り立った観光客のイメージも想像して、この住み慣れた町を違う視点で見てみてというちょっと高度なお願いをしました。

二人がここを職業体験に選んだのは、Yちゃんのお母さんが薦めたことではあったけど、学校のリストに上がっていなかったうちを選んだその選択は立派です。

彼女たち、ツアーセンターの活動内容を聞いて

こんなにも積極的に障害者のために活動しているとは思っていなかった
こんなところがあるの知らず、すごいなって思った

など、ビックリしていたようです。

レクチャーが終わると、センターや鳥羽駅周辺のバリアフリーチェックへ。
実は、私、歩行器の子と歩くの初めてです。


歩行器だと上り坂は大丈夫。下りがちょっと怖いよね。

歩行器の大きさや、重さ、仕組み、折りたためることなど、Yちゃんにいっぱい教えてもらいました。

 
折りたたみにちょっと迷いました。こんな機能もついていればいいのに…と思ったものの、重量がちょっと…となりそう。補助具は何を重視するか?ですね。


歩行器ってブレーキこそついていないけど、バックすることが出来ないんですよね。
後ろのタイヤにギアがついていて、タイヤが前にしか進まないようになっている。


後輪はギアがついています。歩行器を持ち上げるとやはり、気持ち後ろが重たい…


これは上り坂のときやバランスを崩したときに、コケたり、そのまま下がってしまわないよう。。
でも、下り坂の場合の対策はなく、急な坂だとちょっと大変。
案の定、Yちゃんは下り坂は怖いと言っていました。

センターにとっての歩行器注意点を知ることができました。
ただし、パーソナルバリアフリー基準ですから、歩行器の種類や使用する人によって、またちがってくるもの。
いろいろ勉強になります。


かもめの散歩道でパチリ。新聞記者さんに撮ってもらいました。


そんなところを見ながらも周辺をお散歩。
二人もこれでリラックスしてくれたかな?

午後からは市役所にてバリアフリー調査。去年エレベーターやトイレをバリアフリー化して、何度も利用はしているものの、調査にまだ行っておりませんでした。
職員の方も同行していただいて、みなさん、勉強になったとおっしゃっていただきました。

一日目はこれらでほぼ終わり。

二日目のスケジュールは午前中に扇芳閣さんのユニバーサルルーム見学、その後、バリアフリー船の「きらめき号」のバリアフリー調査後、中之郷から電車で帰ってくるというもの。

 
二人の名刺も作ったので、扇芳閣の支配人と名刺交換。ドキドキ。市役所では議会場のバリアフリーチェック。


実は、鳥羽東中学校のこの職業体験学習は市内40箇所もの職場へ派遣?されています。
この日のスケジュールは他の体験している子たちのもとへ行くことにもなってしまってました。
なかなか新鮮だったことと思います。


定期船も見慣れているかもしれませんが、観光客の視点で乗船してね


さて、バリアフリー調査終了後は、センターで最後のまとめ。
いろいろ、お話をしたりしました。

中学2年生、自分はどんなことを思って過ごしていたか?将来どんな仕事に就きたいか?ということをどこまで真剣に考えていただろう?
私たちの時代に、このような職業体験学習なんてなかったし、あまり仕事を身近に感じることが出来ませんでした。
中学時代に、その仕事は「出来ない」「無理」なんてことを考えていなかったかもしれません。
だってまだ、みんなスタート地点同様のところですから。

ここで、ちょっと私の中学時代の夢をお話しちゃいますが…、
実は、中学時代とあるバンドの熱狂的ファンでした。
そのバンドの音楽も好きでしたが、そのバンド仲間の関係がとても楽しく思えて、いつしか、こういった仲間のなかで働きたいと思っていました。
憧れていたのですね。
音楽は得意ではなかった私は、音楽関係の裏方(ようするに音楽事務所なりそんなところ)がしたいと思うようになって、実はお恥ずかしい話、中学時代に、当時好きだったバンドが所属していたEP●Cソニー(今で言うエイベックス的に、当時人気ミュージシャン続々所属の会社でした)という会社に手紙を出しました。

「どうしたらEP●Cソニーに就職できますか?」って(激笑)

中学生、すごいですね~。
でもちゃんと、お返事ありました。
黄色い封筒で。
確か、いろんなカタチで入った社員がいるので、大学に行かなくてはいけないとか、音楽が得意じゃなくてはいけななどと言うことはないけれど、とにかくそのヤル気が大切というようなこと、そして、ぜひ、がんばって、就職してください。といようなことが書いてあったように思います。(違う道を選んでごめんなさい)

今思えば、なんともありがたいお返事です。

さて、今回の中学生を受け入れ、この二日間でそんなことを思い出し、少し彼女たちにもお話しました。

最後にお話したのは、時間かかっても、遠回りしてもいいから「やりたい仕事」に就いて欲しいということ。
障害者だから、この中で選ばなくてはいけないということは考えなくてもいい。
やりたい仕事ならきっと頑張ることもできるでしょうから。
ツアーセンターのモットーと一緒です。

「行けるところ」ではなく「行きたいところ」を開拓していくように、仕事も同じ。

「出来る仕事」を探すのではなく「やりたい仕事」に就いて欲しいと願います。

そして、現に今回のYちゃんはそれをやってのけたと思います。
最初は学校から地元社会福祉協議会への体験を薦められていたようですが、Yちゃんとしてはそこはいつも行くところなので、新しいところへ行きたいと思い、このセンターを選んでくれた。
Mちゃんも、Yちゃんと一緒にこの体験をして、いろいろ目からウロコなこともあったと思います。

お母さんの薦めがあったと言えども、こうして興味あって飛び込んできてくれたことは、彼女は確かに「やりたいこと」を選んだのだから、今後もその調子で、自分で好きなことを選んでいって欲しいと思います。

そのことを考えると、私たちツアーセンターも私が中学時代のEP●Cソニーに憧れたように、どこかの誰かに憧れの就職先としてセンターが上がってくるときがあるかもしれません。
いや、将来そうなって欲しいと思います。

そのときに、「ごめんなさい、貧乏NPOなので、給料が出せませんから求人していません」なんて悲しいお返事をしていてはダメですよね。

やはり、センターの安定した体制を整え、求人が出せるぐらいのところまで持っていけたらな。
数年後、彼女たちがセンターの仕事がしたいと言ったとき、キチンと就職先と言えるような形をもっていきたいものです。

あのときのEP●Cソニーのお返事にように、光が見えるような返答ができるように。

がんばろっ!


お疲れさまでした~