珍しい動画を見つけましたので、ご報告いたします。
羽田空港の変遷です。
https://www.youtube.com/watch?v=6C9yfp0HDOE
タイトル:航空写真で見る、羽田空港の歴史 History of Tokyo Haneda Airport (Japanese only)
羽田空港の詳細は、ここを参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
動画、Wikipedaiを見ると、私たちの年代が、どうして羽田空港が、小学校の社会見学定番コースで見学していたのかが、分かりました。
戦後、GHQに接収され、1958年6月に、日本に全面返還されました。
新しくできた東京の空港機能を教えたかったのでしょう。
どこを見学したのかは、覚えていませんが、最後に空港ビルの屋上から、離着陸する飛行機を見て、その後、記念撮影しました。
出来上がって来た写真を見ると、空には、離陸する飛行機が写っていました。
1973年、アメリカへ留学する親族を見送りに羽田空港。
1983年以降、仙台、札幌と羽田間で利用。
1985年、本社勤務の仕事で、羽田を頻繁に利用し始める。
航空会社は、マイレッジ登録が開始。
それ以降、10年ぐらいで、12万キロ飛行。
羽田―山形行きの飛行機は、ボーディングブリッジでなく、ロビーから歩いて、タラップを利用して搭乗しておりました。
ボーディングブリッジ以外は、バスで搭乗機まで行って、搭乗しておりました。
バスの時は、一番最後の人が誰だが分からないのに、ずいぶん助けられました。
主要幹線の航空会社は、JAL、ANA、JASの3社でしたが、地方空港になると、ANA、JASとなります。
航空会社の歴史も、おもしろいです。
JASは、当初、東亜国内空港で、TDAでした。
その後は、JASとなり、JALと統合し、JASはなくなりました。
ANAは、全日空でした。
羽田空港ビルも、変遷しております。
1970年代は、国際路線と国内路線のビルが、今の国際線ビルにありました。
その後、沖合側に羽田第一ビルができ、その後、羽田第二ビルが完成。
昔の空港ビルが取り壊され、今の国際線ビルが完成しております。
滑走路の変遷もありました。
特徴的なのは、D滑走路。
多摩川の河口に作られた滑走路で、滑走路の全てが埋め立てでなく、沖合の方は、従来の埋め立て、河口側は、ジャケット工法による桟橋でできています。
ジャケット工法は、ここを参照:
http://www.meigi.pa.cbr.mlit.go.jp/file/kouryuukai/5th/5th_03_shiryou.pdf
D滑走路から離陸する時は、駐機上から桟橋を渡って離陸する楽しみがあります。
B滑走路に着陸する時は、右下眼下に、TDLが見えます。
東京湾上空のみを通るのが、原則なので、B滑走路進入最後に、少し、左旋回しながら着陸するのが楽しみでした。
そもそもが、B滑走路利用時は、西からの風で、少し天候が荒れています。
ランディングする間際まで、飛行機は小刻みに修正しながら着陸するスリルがありました。
羽田空港に、10時間過ごしたこともありました。
夕方16時半出発の飛行機を予約しておりましたが、早く出発する必要があり、朝一番のキャンセル待ちを狙って6時に羽田空港に到着。
但し、その日が、祝日だったので、ビジネスマンのように遅刻する人は殆どいませんでした。
団体旅行客が多く、結局、キャンセル待ちで搭乗できる飛行機殆どなく、予約した飛行機と同じ便まで、キャンセル待ちはありませんでした。
その時は、JAL、ANA、JASのキャンセル待ちのカウンターを渡り歩きました。
キャンセル待ちは、搭乗ロビーで拘束されますが、羽田空港施設内で、時間を使いました。
一つは、散髪。小一時間は潰せます。
次は、食事。いつも忙しない食事をゆっくり食事ができましたし、利用したことがないお店の発見もありました。
去年、羽田国際空港内のお店を見学しました。
最上階に、日本橋を復元した橋も見学できます。
羽田空港は、本当に大きなショッピングセンターでもあります。