日本の広辞苑の掲載語数は、24万語。
goo国語辞書は、約27万2,400項目(2014年9月現在)を収録した小学館提供の『デジタル大辞泉』を収録している。
『プログレッシブ英和中辞典』は、11万7千項目を収録している。
Websterの英語版は、47万語。
韓文学会の編纂した「大辞典」16万4千語。
この内、漢字語は8万5527語を占めており、その割合は52.1%に達している。
つまり、ハングル文字は、78千語しかないということ。
これらの事実を知った上で、この動画を見て欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=oeIxAJodRSE
4:39頃から、韓国の英語講師が、べらべらと話しているが、韓国人の好きなファンタジーである。
文字数が、少ない言葉を、文字数が多い言葉にすることは、容易である。
つまり、韓国語を英語にするのは、容易であるはず。
それができていないのは、英語が分かる人で、韓国語が分かる人が少ないからと考えます。
この英語の先生が。英語で本当に表現でき、素晴らしい韓国文学が分かっているならは、韓国文学の英語翻訳家になれば良い話。
しかし、この講師は、そこまでの実力はないと考えます。
多分、幼少期から英語の表現に慣れていないと、文学の翻訳は難しいと思います。
私もビジネスで、英語を使ってきましたが、ビジネス英語ぐらいは、専門用語と簡単な文章で表現できます。
しかし、外国人とミーティングした時、外国人からの指示で、私が理解した内容は、「アクション・プランを作成し、彼に提出すること」でした。
英語での指示内容は、理解したつもりでした。
しかし、幼少期から米国で育って、英語に堪能な日本人からは、あの言葉は、彼は、「そのアクション・プランを絶対に実行しろと言っているからな」と、行間を教えてもらったことがあります。
ビジネス英語でも、ニュアンスまでは分かりませんでした。
ましてや、文学となったら、表現をどうするかはもっと難しいと思います。
私も、英語の表現を、正しい日本語にすることはできます。
それは、日本語が分かっているからです。
しかし、日本語を英語で表現する時は、いつも、悩みました。
それが、正しい英語表現かどうかすら分かっていないからです。
78千の言葉しかない韓国語を、英語にできないのは、韓国語を勉強する英語圏の文学者がいないということの表れではないかと考えます。
ノーベル賞を取りたいなら、韓国文学を理解する英語圏の人を増やさないと無理な様な気がします。
英語圏だけでなく、フランス語、ドイツ語、スペイン語も同様に増やさないと難しいと考えます。
村上春樹さんの「ノルウェイの森」は、34ヶ国語に翻訳されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%A3%AE
1987年の作品であるが、1989年には、英語、中国語で翻訳されている。
1993年には、イタリア語。
1989年には、韓国語でも翻訳されている。
多分、英語の翻訳から拡がっていると考えます。
偉大なる韓国文学者の作品は、日本語よりすぐれていると比較していないで、文学的に英語で翻訳する必要があると考えます。
日本語でも、「うらにわにはにわにわにはにわにわとりがいる」
正解は、「裏庭には2羽 庭には2羽 ニワトリがいる」
でも、このURLでは、816通りの変換ができるようである。
http://www.unixuser.org/~euske/doc/niwatori/
読みだけの言葉では、外国人がその本当の意味を理解することは難しいと考えます。
だから、結論は、次のとおり。
「韓国人は、英語で文学を翻訳できるぐらいの英語力を高め、英訳できる韓国人を増やすこと」
閑話:
翻訳されている村上春樹の作品で、検索すると、Wikipediaとは少し違っていましたので、敢えて、このURLで記載された内容を引用します。
http://www.geocities.jp/yoshio_osakabe/Haruki/Translation-J.html
韓国 (1989)、香港 (1991)、イタリア (1993)、アメリカ (1994)、フランス (1994)、ノルウェイ (1995)、中国 (1996)、イギリス (2000)、イスラエル (2000)、台湾、ドイツ(2001)、 ルーマニア(2002)。
2年後には、翻訳されているということです。
それから、村山春樹さんの文学でも、未だ、ノーベル文学賞を受賞しておりません。
また、この英語講師が絶賛した「趙芝薫」さんは、英語では、「Cho Chi-hun」となります。
「Cho Chi-hun Amazon」で検索すると、英語翻訳が検索されます。
なお、趙芝薫さんは、1968年に既に亡くなっておりますので。ノーベル賞は絶対にとれません。