長崎県の高校生が、友人を殺害した事件が、ニュース番組を賑わせている。
事件には、それなりの理由がある。
今回のこの事件には、私たちには理解できない内容である。
何らかしらの原因があって、結果として、殺人事件となった。
少し、不快なのは、未だ、全容が明らかになっていないのに、TVでは、したり顔で説明するその手の専門家である。
推測だけだったら、誰でも解説できる。
本人も、本当のことを話すとは、考えにくい。
他人が、理解しやすい原因を語るかも知れない。
実は、本人以外、誰にもわからない世界かも知れないと感じた。
余計、TVの解説者の言葉が、空虚に聞こえた。
閑話:
人は、自分自身から見ている自分と、他人が見ている自分がある。
どちらも、その人を表しているが、自分自身が見ている自分は、他人にはわからない。
私も、「実は、私の性格はこれこれだ」と言うと、他人は、冗談としか受け取って貰えない。
有る時期から、他人が見ている自分も、自分と認識するようにした。
二つの自分があることを知ると、他人への対応が違ってくる。
他人が見る自分を演じることができる。
自分と言う概念を持つ生き物は、人間だけで、それが悩みのもとになっているかも知れない。
中学校の校訓が「自己発見」だった。
人生、一生、「自己発見」の旅なのかもしれないと、この事件から感じた。