きのうの朝散歩の途中農道から我が家の裏山を撮りました。左右の竹薮と同じように竹が全体をおおっていました。去年と今年の冬にひたすら竹を切り倒して、これだけのオープンスペースをつくることができました。竹を全部切っても禿山にならなかったのは、クヌギとコナラのお陰です。裏山は真竹(まだけ)が生えています。孟宗竹より少し背が低いので、クヌギやコナラのほうが背が高くなり、なんとか生き残れました。
この木たちは4月になると目にやさしい若葉となり、夏は木陰をつくり、秋は色づいて落葉します。タケノコは5月になると「ワッ!」と生えてきますから、伸びて竹になった頃に切らねばなりません。でも大丈夫! なにしろ毎日裏山を散歩して、植えた木木の芽を見たり、花をたしかめたりしていますから、こちらが元気なうちは竹薮に戻ることはありません。きのうはネコヤナギがしっかり咲いてきたなー、サンシュウ・ミモザ(フサアカシア)・コブシ・ジンチョウゲ・ユキヤナギのつぼみがふくらんだなー、と眺めて歩きました。
裏山を散歩できなくなり、窓から眺めるだけになれば苦労して空間をつくっても二年で完全にもとの竹薮に戻るでしょう。うちの前に50坪ほどの宅地があります。その持ち主がどこかから通ってきて、竹を全部切って燃やし、宅地が現れました。次の年もまた生えた竹を全部切って燃やし、宅地が現れました。でも三年目はほったらかし、四年目もほったらかし。いまでは元の竹薮に戻っています。竹が危機意識をもってしっかり生えた分だけ立派な竹薮になった気がします。そばに住んでいないと竹薮管理はむずかしいですね。
写真で見えますかどうか。実は頂上の左手にアオサギが巣をつくっているのです。白っぽい点のようなものがアオサギです。これが「クヮー!」というような声で鳴きます。池のそばにいるときは哲学者が思索に耽っているポーズで微動もしないのですが(魚や蛙をねらって水面を見ているだけです)、巣にいるときはよく鳴くのです。こんなに鳴くとほかの小鳥が嫌がって寄りつかないんじゃないかと心配しますが、そうでもなさそうです。ジョウビタキの声が聞えなくなりました。遠くカムチャッカに飛んでいったのでしょうか。そういえば寒いからでしょうか。今年はまだウグイスの初鳴きを聞きません。
いまは切り倒した竹を引っ張り出しては短く切って片づけています。電動レシプロソーが活躍していますが、3月いっぱいかかりそうです。
この木たちは4月になると目にやさしい若葉となり、夏は木陰をつくり、秋は色づいて落葉します。タケノコは5月になると「ワッ!」と生えてきますから、伸びて竹になった頃に切らねばなりません。でも大丈夫! なにしろ毎日裏山を散歩して、植えた木木の芽を見たり、花をたしかめたりしていますから、こちらが元気なうちは竹薮に戻ることはありません。きのうはネコヤナギがしっかり咲いてきたなー、サンシュウ・ミモザ(フサアカシア)・コブシ・ジンチョウゲ・ユキヤナギのつぼみがふくらんだなー、と眺めて歩きました。
裏山を散歩できなくなり、窓から眺めるだけになれば苦労して空間をつくっても二年で完全にもとの竹薮に戻るでしょう。うちの前に50坪ほどの宅地があります。その持ち主がどこかから通ってきて、竹を全部切って燃やし、宅地が現れました。次の年もまた生えた竹を全部切って燃やし、宅地が現れました。でも三年目はほったらかし、四年目もほったらかし。いまでは元の竹薮に戻っています。竹が危機意識をもってしっかり生えた分だけ立派な竹薮になった気がします。そばに住んでいないと竹薮管理はむずかしいですね。
写真で見えますかどうか。実は頂上の左手にアオサギが巣をつくっているのです。白っぽい点のようなものがアオサギです。これが「クヮー!」というような声で鳴きます。池のそばにいるときは哲学者が思索に耽っているポーズで微動もしないのですが(魚や蛙をねらって水面を見ているだけです)、巣にいるときはよく鳴くのです。こんなに鳴くとほかの小鳥が嫌がって寄りつかないんじゃないかと心配しますが、そうでもなさそうです。ジョウビタキの声が聞えなくなりました。遠くカムチャッカに飛んでいったのでしょうか。そういえば寒いからでしょうか。今年はまだウグイスの初鳴きを聞きません。
いまは切り倒した竹を引っ張り出しては短く切って片づけています。電動レシプロソーが活躍していますが、3月いっぱいかかりそうです。