2006年12月に三木市で田舎暮らしをはじめたとき、お祝いに松葉蟹を食べようと城崎温泉に旅をしました。冬は蟹を食べて温泉につかる。それがなによりのぼくのしあわせです。きのうも一泊で宮津に行きましたが、よく行くところなので途中の変化をもとめ、舞鶴道の綾部インターチェンジでおりてみました。
綾部市というのは福知山の隣りにある田舎の町です。人口は1970年(昭和45年)には45000人でしたが現在は35000人。この40年間で10000人減りました。市の観光協会をネットで見ると、有名な見所はあまりありませんが、大本教の本部があります。
大本教はいまの新興宗教の元祖であり、戦前国家権力の弾圧を受けた宗教です。生長の家や世界救世教などが分かれていった大本(おおもと)の宗教です。なんとなく大らかな宗教ではないかと思っていましたが、実際に行ってみてもそんな感じを受けました。
写真は桧づくりの拝殿です。人はだれも見かけません。二人で境内を勝手にうろうろしていたら女性が通り掛って「お参りですか」と声をかけられました。話を聞いているうちに拝殿の中を案内していただけるということでお願いしました。建立して二十年になるそうですが、いまも桧の香がただよいます。建物の立派さを誇示するところがなくて、質素で気持ちの静まる空気感が好ましい。(総桧づくりのすごい建物ですが)拝殿のつづきにある庭園は見事なもので綾部市の紅葉の名所になっているそうです。境内には柵も門もなく、いかにも民衆に開かれている宗教という感じを受けました。
帰りは篠山で舞鶴道をおりて、三田市の一番奥の小柿という集落を通って帰ってきました。知人の田舎の家があるのでまた訪ねたいとどきどき思い出すのですが、なかなか実現しませんでした。知人は小柿を『三田のシベリア』と呼んでいますが、篠山の後川(しつかわ)から下りてくると、谷の幅が広くなり気持ちがすーっと広がる田舎です。
阪神間に暮らす知人は、田舎の家に風を入れ、草刈りをするためにときどき帰るそうです。でも街の家と親の暮らした田舎の家の両方を管理するのは結構な仕事で、負担の度合いが年齢とともに増すでしょう。街に暮らし、ときどき田舎の家に帰る人は少なくないようで、不動産屋の話では「空き家同然の田舎の家はたくさんありますが、実際に売りに出される家は100軒に1~2軒ですよ。代々の長い歴史があるからなかなか踏み切れません」ということです。
綾部市というのは福知山の隣りにある田舎の町です。人口は1970年(昭和45年)には45000人でしたが現在は35000人。この40年間で10000人減りました。市の観光協会をネットで見ると、有名な見所はあまりありませんが、大本教の本部があります。
大本教はいまの新興宗教の元祖であり、戦前国家権力の弾圧を受けた宗教です。生長の家や世界救世教などが分かれていった大本(おおもと)の宗教です。なんとなく大らかな宗教ではないかと思っていましたが、実際に行ってみてもそんな感じを受けました。
写真は桧づくりの拝殿です。人はだれも見かけません。二人で境内を勝手にうろうろしていたら女性が通り掛って「お参りですか」と声をかけられました。話を聞いているうちに拝殿の中を案内していただけるということでお願いしました。建立して二十年になるそうですが、いまも桧の香がただよいます。建物の立派さを誇示するところがなくて、質素で気持ちの静まる空気感が好ましい。(総桧づくりのすごい建物ですが)拝殿のつづきにある庭園は見事なもので綾部市の紅葉の名所になっているそうです。境内には柵も門もなく、いかにも民衆に開かれている宗教という感じを受けました。
帰りは篠山で舞鶴道をおりて、三田市の一番奥の小柿という集落を通って帰ってきました。知人の田舎の家があるのでまた訪ねたいとどきどき思い出すのですが、なかなか実現しませんでした。知人は小柿を『三田のシベリア』と呼んでいますが、篠山の後川(しつかわ)から下りてくると、谷の幅が広くなり気持ちがすーっと広がる田舎です。
阪神間に暮らす知人は、田舎の家に風を入れ、草刈りをするためにときどき帰るそうです。でも街の家と親の暮らした田舎の家の両方を管理するのは結構な仕事で、負担の度合いが年齢とともに増すでしょう。街に暮らし、ときどき田舎の家に帰る人は少なくないようで、不動産屋の話では「空き家同然の田舎の家はたくさんありますが、実際に売りに出される家は100軒に1~2軒ですよ。代々の長い歴史があるからなかなか踏み切れません」ということです。