古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『あの戦争』で心の波立つこと  その2

2015年08月19日 04時58分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうにつづいて『あの戦争』で心の波立つ事柄を、岩波新書『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著)より引用します。


 増大する「戦争未亡人」の存在、 …… 日中戦争以降、戦死者の遺族に対して与えられる一時賜金や遺族扶助料をめぐるトラブルが多発していた。民法上は戸主の権限が強かったため、戸主の居所指定権などを濫用して、戦死者の父が戦死者の妻を離籍して受給資格を奪おうとするケースなどがその典型である。  ……  戦場で死んでゆく男の側からすれば、最大の関心事は、残された妻や子の生活問題である。
 したがって、政府としては、男たちが「後顧の憂」なく安心して死んでゆける「環境整備」のために、こうしたトラブルに積極的に介入し、戦死者の妻の立場を後押しせざるをえない。  ……  こうして、「戦争未亡人」問題では、政府は女性の法的、社会的地位を強化する政策をとらざるをえず、そのことによって、結果的には、伝統的な「家」制度の解体を促進したのである。


 「戦争未亡人」や出征兵士の妻をめぐる問題で深刻なのは、彼女たちに性的関係を強いる男たちの存在である。43年4月(昭和18年)に内務省警保局警務課がまとめた「出征軍人遺族、家族をめぐる事犯の状況」は、「軍事援護に関係ある公職者、地方有力者の犯罪が意外に多い」とした上で、「風俗事犯に於いても、物資の配給、軍事援護、就職斡旋等に名を借りて遺家族の家宅に侵入して情交を迫り或はその恩義を笠に半強制的に姦淫する事例の多きことは遺憾に堪えぬ処」と指摘している。


 アジア・太平洋戦争期の兵士の戦死のありようは、次の3つの死によって特徴づけられている。餓死と海没死と特攻死である。  ……
日中戦争以降の軍人・軍属の戦死者数は約230万名、このうち、営養の不足または失調による狭義の餓死者と、栄養失調による体力の消耗の結果、抵抗力をなくし、マラリアなどの伝染病に感染して病死した広義の餓死者の合計は、140万名に達すると推定されている。餓死率は、約60パーセントである。
 ……  次に海没死をいてみよう。艦船の沈没による戦死者のことをさす。 …… 軍艦651隻、陸海軍の徴用船を含む商船2934隻が沈没し、398500名もしくは429400名が戦没している。日露戦争における日本陸海軍の戦死者数(戦病死を含む)88133名と比較するならば、記録的ともいうべき …… が「溺れ死んだ」のである。 海上護衛戦の軽視、軍事技術の立ち遅れ、詰め込み搭載の結果である。 


 戦争に負けて、あの戦争とずるくかかわった大人たちは、どんなふうに反省したか。言い訳を心の中で何万回と唱えながら生きたか。
 戦時中の卑劣さを意識から遠ざけて、何食わぬ顔をして生涯を終えたか。
 心に引っ掛かったままです。
 でもそんなことを言うのは終わりにします。子どもだったぼくらも、いずれいなくなり、生々しい人生は歴史に送り込まれます。
コメント (1)
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